2012年03月13日

『震災から1年〜天皇陛下のお言葉と危機管理〜』

チーム桜子・藤 えいと@です。

東日本大震災から1年が経過いたしました。

あの大惨事から1年。


皆さまはどんな風にこの1年を振り返り、

どう感じておられるでしょうか…。


さて、3月11日に政府主催の追悼式が行われ、

天皇陛下からの追悼のお言葉がございました。



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東日本大震災から1周年、ここに一同と共に、

震災により失われた多くの人々に深く哀悼の意を表します。


1年前の今日、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、

ほぼ2万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。


その中には消防団員を始め、危険を顧みず、

人々の救助や防災活動に従事して

命を落とした多くの人々が含まれていることを

忘れることができません。


さらにこの震災のため

原子力発電所の事故が発生したことにより、

危険な区域に住む人々は住み慣れた、

そして生活の場としていた地域から

離れざるを得なくなりました。


再びそこに安全に住むためには

放射能の問題を克服しなければならないという

困難な問題が起こっています。


この度(たび)の大震災に当たっては、

国や地方公共団体の関係者や、多くのボランティアが

被災地へ足を踏み入れ、

被災者のために様々な支援活動を行ってきました。


このような活動は厳しい避難生活の中で、避難者の心を和ませ、

未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。


この機会に、被災者や被災地のために働いてきた人々、

また、原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を、

深くねぎらいたく思います。


また、諸外国の救助隊を始め、多くの人々が

被災者のため様々に心を尽くしてくれました。


外国元首からのお見舞いの中にも、

日本の被災者が厳しい状況の中で互いに

絆(きずな)を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に

印象付けられたと記されているものがあります。


世界各地の人々から

大震災に当たって示された厚情に深く感謝しています。


被災地の今後の復興の道のりには

多くの困難があることと予想されます。


国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくよう

たゆみなく努力を続けていくよう期待しています。


そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、

子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、

安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。


今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを

一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。  


 天皇陛下のお言葉 政府追悼式 (日本経済新聞)



もう…

涙なしには聞くことが出来ない 陛下のお言葉ではありませんか…。


陛下は2月18日に心臓の冠動脈バイパス手術をされ、

3月7日には 手術の合併症で

たまった胸水を抜く治療をお受けになられたばかり。


まだまだ体調が万全ではないにも関わらず

震災で亡くなられた方々のため、国民のために

追悼式にご出席されました。


これが私たちの天皇陛下なのです。


言葉に表せない感動を呼び起こす、それが天皇陛下のお力です。

目に見えないパワーを感じます。


私たちにはいつも国民を見守り、

祈ってくださる天皇陛下という存在があるのです。

だから頑張れるのでしょう。


日本人の強さは

天皇陛下がいつも見守ってくださるからこそであろうと

思います。


日本という国はなんと素晴らしい、

日本人はなんと幸福な民族でしょうか。


この素晴らしさ、この幸福に気がついていない国民が

存在することが残念でなりません…。



陛下は次のよう ↓ に言われました。

『国民皆が被災者に心を寄せ、

被災地の状況が改善されていくよう

たゆみなく努力を続けていくよう期待しています』と…。


陛下は復興がなかなか進まないことに

心を傷めておられるのです。


なかなか進まない被災地の復興…。


震災のために失業してしまった方の多くが

仕事が見つからない状態が続いているのだそうです。


そして仮設住宅での生活も

いつまで続くのか そのメドさえたっていないのが現状です。


福島第一原発では 今でも収束活動が継続しています。

1年経った今も 震災は過去のことにはなっていないのです。


復興がなかなか進まない原因となっている、瓦礫処理ですが…。

国民の16%に当たる人々が 強く反対をしているそうですね。

脱原発、反原発派の方々の「瓦礫受け入れ反対」の運動は

ご自由におやりになればいいと思います。


しかし、それならば瓦礫処理の対策を考えていただきたい。

瓦礫の処理が進まなければ 復興はどんどん遅れるのです。

何も放射能汚染されている瓦礫を

日本全国にばらまこうというのではないのですよ。


東北全体が放射能にまみれているわけではないのですから…。

瓦礫受け入れ反対の抗議の中には

「震災瓦礫は被災した3県で処理したらいい」

なんていうメールがあったそうですが…。


呆れるやら悲しいやら…。


被災地だけでは限界を超えていて対応できないから

被災した地域が支援を求めているのではありませんか…。


1年前に皆で【絆】といった、あの気持ちは

どこへ行ってしまったのでしょう…。


陛下がおっしゃった『国民皆が被災者に心を寄せる』とは

どういうことなのか、

被災していない私たちは何をしたらいいのかを

考える必要があるのではないでしょうか…?


また、陛下は次 ↓ のようにも言われました。

「この大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、

防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して

進んでいくことが大切と思います」…と。


皆さまは『津波てんでんこ』をご存知でしょうか。


近代日本、第二の大災害と言われる三陸を襲った明治の大津波。

約2万2000人の尊い命が波に消えた。

綾里白浜では、最大波高38.2mを記録し、

1269人(住民の56.4%)が亡くなった。


そしてこの津波の特徴は、ヌルヌル地震やスロー地震と呼ばれ、

震度2.3という小さな地震発生後、

30分から1時間後に津波が襲来。

不意打ちであったという。


津波が発生した場合、

波高が高くなりやすい急峻なリアス式海岸である三陸海岸には、

明治の津波以降「津波てんでんこ」という言い伝えがある。


津波の時は、事前に認め合った上で

「てんでんバラバラ」に逃げて

一族共倒れを防ごうという意味である。


明治の津波の際、子(夫)が親(妻)を助け

親(妻)が子(夫)を助けて共倒れになったケースが

多かったという教訓から生まれた。


津波が押し寄せて来たら

だれかれ構わずとにかく逃げる。一人でも助かる事。

自分の命は自分で守る。

そうしなければ一族の血が絶えることにもなる。

    命を守る知恵「津波てんでんこ」より



岩手県釜石市では、3千人近い小中学生のほとんどが

無事に避難したそうです。


校庭に出た生徒たちは教師の指示を待たず、

高台に向かって走り 津波の被害から身を守ったのです。


先人の知恵『津波てんでんこ』を語り継ぎ、

避難訓練をしっかりやっていた この小学校の子供の多くが

助かったんですね。


それに対して避難まで30分校庭に待機させていた小学校は

子供の7割を亡くしてしまいました。


 全校児童の7割が亡くなった大川小学校 

高台避難まで30分校庭待機していたことが明らかに



津波がそこまで来ているのに、

どこにどうやって避難させたらいいかを

30分も話し合いをしていたそうですよ!


この小学校の教師達は…!


保護者が教師に

「6mの津波がすぐ来るから裏山に逃げるべき」と訴えても、

教師はその保護者を

「お母さん、落ち着いてください」とたしなめたそうです。


そして様子を見に行っていた教頭先生が堤防から走ってきて、

「もう津波来てるから早く逃げて!」と叫び、

そこから小走りに逃げたそうなんですね。


しかし、時はすでに遅し…。

多くの子供達が犠牲になってしまったのです…。


先人の教え、日頃からの訓練。

これが生死を分けたのです。

危機管理がないということは

こういう時に現れるということでしょう。


亡くなった子供達が気の毒でなりません…。(涙)



陛下が言われた

『子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、

安全な国土を目指して進んでいく』ということ。


それは『先人の知恵を生かし、危機管理を持ち、

安全な日本の国にするべし』ということです。


日本は危機管理が非常に弱い国です。

防災、国防を含め、国を、国民の命を守るためには

何が必要なのかを、

国民 皆で真剣に考える必要があるのではないか…と、

そんな風に思います。

 
 
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posted by チーム桜子 at 17:22| Comment(5) | TrackBack(1) | 藤えいと@

2012年02月26日

『南京事件〜敗戦国は真相を明らかにすることさえ許されないのか?』

チーム桜子・藤 えいと@です。

ご存知の方も多いと思いますが、先日名古屋市長の河村たかし氏が

「南京虐殺はなかった」という発言をいたしました。

友好都市である南京市の共産党幹部が訪問した際に、

その幹部に対して発言したということのようですね。

 河村市長:南京事件発言 現地市民は深い失望感 毎日JP

その後の日本政府や外務省、そして一部の国民の反応を見ていて

考えさせられることがあったので、

今回 それを記事にしたいと思います。


ところで、皆さまは南京事件についてはご存知ですよね?


1937年12月、日本軍は

支那事変を終結させるため南京へ侵攻。

12月13日にそこを占領しました。


いわゆる「南京大虐殺」とは、

その占領から約6週間の間に

数十万人単位の人間(市民や捕虜)が

日本軍によって南京で虐殺されたとする説です。

中国共産党が公式に述べてきたものとしては、

その数30万人。

中国にある南京大虐殺記念館の外壁には、

大きな文字で「300,000」の数が、

犠牲者数として掲げられています。


  「南京大虐殺」は捏造だったより抜粋。


中国側は30万人もの南京の一般市民を虐殺した

非人道的な日本軍の罪であると主張しています。

しかし、この30万人虐殺を疑問視する声は多く、

いろんな説があるのが この「南京事件」なのです。


皆さまは、どう思っておられますか?


南京大虐殺はあったと思われますか? 

それともなかったと思われますか?


私は戦争中だから軍人同士の殺戮はあったし、

多少民間人が巻き込まれて

犠牲になったということはあっただろうが、

30万人もの市民や捕虜を虐殺したとは思えない、

という考えでいます。


こちらの動画 ↓ をご覧ください。


      




この動画 ↑ は2005年に放送された

たかじんのそこまで言って委員会で

「南京事件の証拠写真は捏造か?」

というテーマで放送された動画の一部です。


英語の字幕も入っています。ぜひご覧になってください。


番組では『南京事件「証拠写真」を検証する』

の著者である東中野教授をゲストとして招き、

南京事件の証拠として使われていた写真を使い、

どの点が捏造されているのかということを

ひとつひとつ丁寧に説明されています。


これだけの証拠写真を集め、またその出版元を調べるのに

どれほどの年月と根気が必要だったことでしょう。


歴史学者とは こんな風に

歴史を検証しておられるのです。

気の遠くなるような仕事です…。


さて、アメリカで大ベストセラーになった

「ザ・レイプ・オフ・南京」という本がありました。


中国系アメリカ人の、アイリス・チャンという

ジャーナリストが書いた本ですが、

この本がベストセラーになったことで

南京での日本軍による大虐殺は

世界の定評となってしまったのです。


しかし、その後の

東中野氏をはじめとする歴史学者の研究により、

「ザ・レイプ・オフ・南京」に使用された証拠写真は

100%捏造であったことを証明されたのです。


上の動画 ↑ に

ゲスト出演しているデーブ・スペクター氏は

「南京事件はあった派」であり、

番組のはじめのうちは

「世界の常識。聞くまでもなく南京虐殺は事実」

と言い切っていました。


しかし番組の最後には、たかじんさんの

「デーブ、でここまで聞いて意見は変わったの?」

という問いかけに対して、

渋々ながらも「南京事件はなかった」と発言したのです。

(動画には入ってませんが…

探したけど すでに消されてありません 残念…)


つまりデーブ氏は証拠とされた写真が

すべて偽物であった事が証明されたことで

南京虐殺があったとは言えないと考えを変えたのです。


動画の途中で,金美麗氏がこのよう ↓ に言われています。

『あったということを証明するためには

本当の証拠を出さなくてはいけない。

この「南京虐殺」があった、という証拠にされてきた写真が

すべていい加減なものであるということがわかった時点で、

この事件は本当にあったのかどうか、

原点に返って見つめ直すことが必要だし、

それが普通の人間の感覚であると思う。』


この通りであると思われませんか…?


この番組が放送されてから、もう7年が経過しています。


その後も研究は続けられ、世界にもアピールしています。

(パワーとしてはまだまだ弱いのですが…)


それでも いまだに世界では「南京虐殺は真実である」と

認識している人が多いのが現状です。


日本人の中には

「南京事件の20万人も30万人も虐殺って

ありえないんじゃないの? 

せいぜい2〜3万人だったのでは?」

という認識を持つ人が多くなったようには感じますが、

日本人であっても

「日本は侵略国家だったんだから、

残酷なことをきっとやってたはず」

というお考えの方もいらっしゃるでしょう。


先日の河村市長の発言で、中国側はまたしても

恫喝(名古屋市と南京市の交流中止など)を

してきていますし、

日本政府の認識は

村山談話をそのまんま引きずったもので、

河村氏の発言を否定しています。


ネット上でも河村市長を応援するネットユーザーと、

河村市長を叩きまくるネットユーザーに

まっぷたつに割れているようですしね…。


まぁ、中国側が抗議してくる事に関しては

理解できるんですよ。腹立たしいですけど。


だって抗日は 中華人民共和国の国策ですから。


南京事件が いかに非人道的で残酷であったか…

ということで

国民に対して抗日感情を持たせると同時に、


日本に対する対日カードとして

政治利用していますからね。


しかし、日本人がなぜ

史実の検証に背を向けるのでしょうか。


今回の河村市長の「南京事件」発言で、

中国との友好関係が壊れるから

発言を撤回しろと言う政治家もいたそうですしね。


日本が何も言わないことが

友好関係を保つ唯一の方法なのでしょうか?


歴史を封印し、

我々の先人を侮辱したままでいることが、

友好のためには必要なんでしょうか?


さて、南京入場の際と

入城した後の何禁止の様子の写真が

多数残されています。一部、ご紹介します。


 (以下の写真は こちら 及び こちら のサイトよりお借りしました)


     nankin1.jpg      

      日本軍による南京城への入城式  


     nankin2.jpg 

  戦死した戦友の位牌と遺骨を持って南京入城式に参列する日本兵


これら ↑ は 南京陥落後の南京入城式の写真です。

残虐な虐殺をした後に

こんなにも堂々とした入城式が行えるものでしょうか?


戦友の位牌と遺骨を持って入城式に参列する兵士が、

敵国とはいえ一般市民を無差別に

虐殺できるものでしょうか?


そして一番不思議なのは

虐殺をしたとされる死体です。


死体がないんです。


死体はどこに消えたのでしょうね? 

誰かが大至急に片付けたのでしょうか?


30万人の死体を処分するって

たいがいものすごいことだと思うのですけど…?


   nankin3.jpg 

 戦禍の終わったことを知り

防空壕から出てきた南京の女性たちを庇護する日本兵

  (南京陥落の翌日12月14日。朝日新聞1937.12.16付)


   nankin4.jpg      

  南京の中国人家族に紙幣を渡す日本兵

(1937.12.27 影山特派員撮影 

南京占領の14日後 朝日版支那事変画報1938.1.27刊)



   nankin5.jpg      

    日本兵から菓子をもらって喜ぶ南京の家族

 (1937.12.20撮影 朝日版支那事変画報1938.1.27刊)

これらの写真 ↑ を見ていると

とても30万人の一般市民を虐殺した後の南京の町とは思えません。


自分の親や兄弟姉妹、近所のおじさん、おばさんを虐殺した日本兵に

助けてもらったり、食べ物を売ったりするものでしょうか?


子供がこんなにも喜んで集まってきて、

日本兵からお菓子をもらうなんてことをするでしょうか?

兵士も おじさんもおばさんも、子供達もみんな笑顔ですよ?


虐殺があった後だというのに こんなにも

ほんわかムードの空気が流れるものでしょうか?


それに、調査によると

虐殺があったとされる数年後には

南京の人口が増加したそうですが、


虐殺があった場所に人が集まってくるものでしょうか…?


日本軍が駐屯しているから かえって治安が良くなって、

周辺地域に住む人々が移り住んできたと

考える方が自然ではありませんか…?


これらの写真 ↑ はいつどこで

誰が撮影したものかが明らかなのに対し、

「ザ・レイプ・オフ・南京」や、

その他の「南京虐殺があった」

とされる資料に使われた証拠写真は

ほぼ100%捏造です。

このことからもわかるように

南京で30万人もの虐殺が行われたということは

断言できないということは

はっきりしているのではないでしょうか。


だからこそ歴史の検証は必要であり、

継続すべきなのです。


日本は先の戦争に負けました。


戦争に負けた国は なかった罪も

受け入れなくてはならないのでしょうか?


歴史の検証をやり直すことを

提案する事も許されないのでしょうか?


戦争に負けた日本は、歴史の真相を

明らかにすることすら許されないのでしょうか…?


こちら ↓ で河村市長発言 歴史認識はしっかりと

という記事を中日新聞が書いています。

   河村市長発言 歴史認識はしっかりと 中日新聞


正しい歴史認識とは いったい何なのでしょう?


かつて小泉純一郎首相の靖国神社参拝で、

日中関係は中国の一方的な攻撃で

日中関係が悪化しました。


その悪化した日中関係を改善しようと、

双方が歩み寄った知恵で作った共同研究というものがあり、

それを両国で共有したという経緯があります。


その共同研究は 日本側のみが

譲歩したものではないのですか?


日中関係が悪くなった場合に、

なぜ一方的に日本側のみが

譲歩しなくてはならないのでしょうか…?


これこそが自虐史観ではないでしょうか…?


ところで こちらの動画 ↓ をご覧になってください。


   

中国にある[南京虐殺記念館」の建設を押し進めたのは…

なんと日本人だったのです。


中国側は 建設資金が捻出できないので建設は無理だ、

と消極的だったらしいのですが、

なんと…日本の政治家が中国に強く勧めて

建築費用まで日本が出したそうですよ!(怒)


その人物とは…旧社会党の田辺誠氏です!

何てことをしてくれたのでしょうか…!

こういう人間が日本人の中にいるっていうことなんです。


そして、今でもこういう人間が 日本の政治の中に潜み、

現在進行形で日本を貶めようとしているのですよ…。


きっと河村市長を攻撃しているのは…

こういう反日感情を持った日本人、

あるいは反日の外国人なのでしょう。



あぁ日本はいったいいつまで

自虐史観を引きずっていかないと

いけないのでしょうか…?


日本とはこんなにも誇れる国なんだ!

…と、いつになったら大きな声で

世界に向かって言えるのでしょう。


国会議員でこういう意見を言うと罷免されたり

更迭という処分を受けることが多いのが日本です。


かつて、羽田内閣の時代(1994年)に

当時の法務大臣(長野茂門氏)が

今回と同じような発言をして罷免されました。


最近では田母神俊雄氏がそうですね。

政治家ではありませんが。


田母神氏は

「日本は侵略国家ではなかった」という懸賞論文を書いて

航空幕僚長をクビになりました。

こういうことがあるから公的な人間は発言ができないのです。

このような発言したらマスコミが一斉に叩きますからね…。


日本の中に潜む、日本を貶めようとする勢力、そしてマスコミ。

この力が圧倒的に強い今の現状では…

正しい歴史認識を共有することは難しいのでしょうか…?


多くの近隣諸国との問題は、

日本人自身の心の中にある自虐史観が

一番の原因があるのではないか…と私は思います。。。

 
 
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posted by チーム桜子 at 23:57| Comment(8) | TrackBack(2) | 藤えいと@

2011年12月28日

『12月8日 靖国神社 昇殿参拝〜許すまじ 靖国神社への放火』

チーム桜子・藤 えいと@です。

12月の上旬に日本に一時帰国した際に

東京に出向き靖国神社に行ってまいりました。

大東亜戦争、日米開戦の日の12月8日に昇殿参拝を

してまいりました。


  Yasukuni11-1.jpg


靖国神社にお参りされた多くの方は

きっと感じられたことでしょう。

英霊が微笑んでくださっているような、

英霊に守られているような…

そんな感覚になることに…。

気持ちがとても清らかになることに…。


  Yasukuni11-2.jpg


ご存知の方も多いと思いますが、

靖国神社には 大東亜戦争の戦没者だけでなく、

日本を作り上げてきた多くの先人の魂が祀られています。


幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり、

嘉永6年(1853年)のペリー来航、

黒船来航以降の告示に殉じた戦没者を英霊として

お祀りしてある神社が靖国なのです。


ですから、日本人であるならば

ご自身の祖先の誰かがお祀りされている可能性がある…

ということになるのですね。


黒船来航で 危うく欧米列強の植民地に

なったかもしれない日本を

明治維新という大改革で日本を救った先人達…。


明治維新後も欧米列強に苦汁を飲まされ、

それでも先進国の仲間入りをしようと

耐えに耐えた先人達…。


赤い共産党の国に脅かされないよう

必死で国土を守るために

日清、日露戦争を戦った先人達…。


そして、石油その他の資源の輸入を断たれ,

国の存続を掛けた自存自衛のために

大東亜戦争を戦った先人達…。


今の日本があるのは すべて先人が命をかけて

戦ってくださったおかげなのです。


このことを知らずして

今の時代をのうのうと生きてもいいのでしょうか…?


日本の近代史を知らずして、我々の子々孫々が

日本人としての誇りを持って

生きることができるのでしょうか…?


日本人であるならば 大東亜戦争 開戦70周年の今、

少し立ち止まって考えていただきたいな…と思います。


   Yasukuni11-3.jpg


ところで、

先日、靖国神社の門が放火された事件がありました。

 靖国神社の門に放火 防犯カメラに不審な男

産経ニュース

ツイッターで放火予告のような書き込みがあったそうです。

(今はすでにアカウントも消されているようですが)


「在日コリアンの苦しみを代弁したって、

どうせ日本人の心には届かない。

だったら靖国神社を放火してやろう。


靖国神社を放火すれば、

日本人は少しは反省するんじゃないのか? 

あの場所こそ、日本人の差別精神の根幹なんだから。


金閣寺は放火したらみんな怒るだろうけど、

靖国神社なんて世界中から忌み嫌われている神社。

放火したって誰も悲しまないだろ?

逆に世界中がみんな喜ぶよ。俺は英雄。」


こういうツィートをした人物が犯人であるとは

断定はできませんが、

反日感情を持つ人の靖国神社に対する考えは

こうなのだということがよくわかりますね。


私はこのツィートをした人、

そしてこのツィートに同意する人に聞いてみたい。


「靖国神社を放火すれば

日本人は少しは反省するのではないか」

と書いていますが、

いったい何を反省せよというのでしょうか?

戦争をしたこと? 戦争に負けたこと?

あの時代、朝鮮人は日本人として共に大東亜戦争を

戦ったのです。

こんなこと(放火)をして

朝鮮人の戦没者が喜ぶとでも思っているのでしょうか。

それとも、日韓併合を反省せよと言いたいのでしょうか?

靖国神社は日韓併合とはまったく関係ありませんし、

日韓併合そのものは

日韓両国の同意の上に成立したことであり、

日本が反省する必要はありません。


また、

「あの場所(靖国神社)こそ 日本人の差別精神の根幹」

と書いていますが、

朝鮮人を差別しなかったからこそ、大東亜戦争を共に戦い

戦死された朝鮮人も 日本人戦没者と同じように

靖国神社にお祀りしているのではありませんか。


何を持って「差別の根幹」であるというのでしょう。


そして、

「靖国神社は世界中から忌み嫌われている」

と書いていますが、

そう思っているのは 韓国と北朝鮮と中国だけです。

(一部の台湾人「高金素梅」などもいますが)

他の国の要人は靖国神社に参拝してくださっています。

歪んだ歴史観を教えられている国の人間だけが

靖国神社を誤解、冒涜しているのでしょう。

今回の放火事件は 日本人の仕業ではない、

と 私は思っています。

上のようなツイッターの書き込み ↑ があったからでは

ありません。


日本人には

神社を放火することなど できないと思うのです。


子供の頃からお正月や 願い事をしたい時には

神社にお参りに行き、

神様に手を合わせる日本人ですから。


特別な宗教を持たなくても、

全ての物に神様が宿っておられる…

そういう考えを持つ日本人ですから。

神社に放火する…なんて罰当たりなことは、

左翼の人間や、たとえ日本が好きでない人間であっても

日本人である限り決してできないことだろうと、

私は思います。


どの国の誰が犯人なのかはわかりませんが、

靖国神社の放火犯は絶対に許してはなりません!


どの国のどんな人間であっても

他国の神様を冒涜する行為は

許されものではありません!


靖国神社が放火されたということは、

日本人の心を踏みにじる行為です。


日本人はもっと憤りを感じなければ!

日本のTVニュースではどんな風に報じたのでしょうか?

さらりと「このような事件がありました」〜で

すましているのではないでしょうね…?


あるサイトに

「ブラジルの子供から日本人へ」

という手紙が寄せられたことが載っていました。


感動的であったので、ここに紹介したいと思います。


  〜〜〜ここから転載〜〜〜

   「ブラジルからの手紙 」

戦争が行われている時には、

だれが正しいか、だれがまちがっているか

分かることができますか。

戦争を始めたほうが悪いと言いますが、

いじめられて、たたかれて、だまっている人がありますか。

どんな生物でも、人間でも、

心が腹立たしさであふれる時には

勇気がぱっと出てたたかうのです。

ライオンだって子犬だって同じでしょう。

昔の人達はまちがえたと言えますか。

人をころしたり、ころされたりして、

だれがあっていたか、だれがまちがっていたか、

決めるのはだれもわからないのです。

だからよその国が、

「あなたの方が悪かった」

と言うのはまちがっています。

私達はほこりをもつことが大切です。

ほこりのために死んだ人達にいのります。

自分の国を、

自分の家族を、

自分のふるさとを守るために、

たたかった人達をそんけいしないことは

ほんとうにはずかしいことです。


僕が書いている文は、

だれかに読んでもらえるか分かりません。

ただ僕の気持ちは、

神につたえることができたと思います。


靖国神社は、

神様がまもって下さっている、

なくなった方々の大切なお社です。


靖国神社のことを思わない人は、

ほんとうにばかな、かわいそうな人です。

ブラジルの僕達もいつも祈っています。


少しのばかな人をのぞいて、世界の人達が、

靖国神社の大切さを分かっていると思います。

日本人はわかっていますか。

*********************************

靖国に祀られる英霊 246万6,532柱

死んだらどうなるか

それは誰にもわかりません。

しかし

確かなことがあります。


先人達の言葉

「靖国で待っています」

「靖国で会おう」


靖国は

そう思い、そう言って

日本を守る為、

日本人を続かせる為、

散華された日本人の先人達が

戻った場所

眠る場所です。


靖国には、日本人の心が祀られています。

            〜〜〜転載ここまで〜〜〜


靖国神社の参道の黄葉 ↓です。


   Yasukuni11-4.jpg


年配の方、サラリーマン、学生さん、子供、

靖国神社の参道を通る多くの人々の姿がありました。


鳥居をくぐる際に一礼をして通る方もおられました。


年配の方だけでなく、若い方、学生さんも

一礼されていましたよ…。


それを見た時…何だか 涙があふれそうになりました。


きちんと教育されている若い人もいるんだなぁ…と

とても嬉しく感じたのです。


  Yasukuni11-5.jpg


英霊は待っておられます。

多くの日本人が靖国神社に足を運んでくれることを…。


そして 日本人みんなが

英霊に手をあわせてくれる日が来ることを…。


全ての日本人が、今の日本があるのは

先人の努力のおかげである…ということを理解する日が

1日もはやく訪れることを 私は願っています…。


もうすぐ2011年が終わります。

今年は震災、原発事故、台風など災害が多く、

また民主党政権でいろいろと大変な年でしたね…。

来年はどんな年になるのでしょうか…。

2012年が 日本にとって 皆さまにとって

良い一年となりますように…。



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posted by チーム桜子 at 23:59| Comment(6) | TrackBack(3) | 藤えいと@

2011年11月06日

『日本は歴史に学べ〜「全米日系米国人記念碑」inワシントンDC』

チーム桜子・藤 えいと@です。


先日、このようなニュース ↓ がありました。


【ワシントン時事】


第2次大戦中、米軍に加わった日系人に

米国民最高の「議会勲章」を授与する式典が2日、

連邦議会内で行われ、

欧州戦線で戦った陸軍第442連隊などの出身者や

その家族数百人が参加した。


式典には共和党のベイナー下院議長や

民主党のリード上院院内総務ら両党幹部が勢ぞろい。


ベイナー氏は式辞で

「内にあっては人種差別との、

外にあってはファシズムとの二つの戦いに身を投じ、

勇敢さと国家への献身を示した人々の功績を

永遠にたたえる」と述べた。


442連隊出身者で、戦後、

ハーバード大教授(細胞生物学)になった

ススム・イトウさん(92)は式典後、

「日本人の精神を持っていることに誇りを感じている。

部隊のみんなで栄誉を受けたのはうれしい」と語った。


(2011/11/03−07:06)


  日系人部隊出身者に米最高勲章「日本人の精神に誇り」

(時事ドットコム)


このニュース ↑ を見て 私は胸が熱くなりました。

日系アメリカ人とは 帰化をしたアメリカ国籍を持つ米国人です。

しかし…あの時代は日本をルーツに持つ…というだけで

アメリカ人でありながら異常な弾圧を受けたのです。


ほんの60〜70年前であっても

まだまだ人種差別があった時代です。


たとえ戦争が起こってなくても

白人ではないというだけで

差別をされていた時代だったのです。



その上 ルーツが敵国となったら…

我々の想像を超える理不尽な差別があったことでしょう。



そんな中、アメリカ人として、

そして祖国日本を誇りとして、

日系アメリカ人は賢明に時代を生きたのですね…。



そして先の大戦では 日系アメリカ人は

米軍として日本と戦ったという歴史があります。



戦争直前には日系人の間で

「日米両国のいずれに忠誠を尽くすべきか」が

大きな問題となりました。



アメリカに移住し、アメリカに帰化をしたとしても

祖国は日本なのですから、

そりゃ大きな問題になったことでしょう。



当時の日本の総理大臣、東条英機氏は

日系アメリカ人に向けて

戦争直前に次のような手紙 ↓ を送っています。


『日系二世はアメリカ人である。

だからあくまでも

自国に忠誠を尽くして当然である」…と。



皆さまは

「442日系部隊ーアメリカ史上最強の陸軍」

という映画をご存知でしょうか。



442日系部隊とは、

日系人兵士だけで構成されたアメリカの部隊です。



祖国日本と戦う苦悩があっただけでなく、

アメリカの中でも差別と戦い、

アメリカ史上最も多くの勲章を受けた部隊なのです。


「442日系部隊ーアメリカ史上最強の陸軍」は、

その日系人の兵士達を描いた映画なのですね。


興味がある方は

「442日系部隊ーアメリカ史上最強の陸軍」 公式HP

をご覧になってください。



先の戦争が終わった時、当時のトールマン大統領は

442日系部隊に対して次の言葉 ↓ を贈っています。


『諸君は敵だけでなく 偏見とも戦い,勝ったのだ』…と。



皆さまもご存知のように当時のアメリカにおいて、

日系アメリカ人,及び

日本人移民に対する強制収容政策が行われました。


アメリカ本土のみならず、

アメリカの影響下にあったペルーやブラジルなどの

ラテンアメリカ諸国の連合国、

またカナダやオーストラリアなどの

イギリス連邦においても

この強制収容政策が行われました。


開戦前に

フランクリン・D・ルーズベルト大統領の命により

日系アメリカ人および日本人の忠誠度を調査した

カーティス・B・マンソンが、

「75%以上の日系一世、

90パーセント以上の日系二世は

合衆国に対して忠誠であり、

日系人より共産主義者の方が危険である」

と報告していたにもかかわらず、

日系人は全て「敵性外国人」として扱われたのです。


そして、

アメリカで賢明に築き上げてきた財産は没収され、

あるいは二束三文で売却し、

収容所に向かわざるを得なかったのでした。


詳しくはこちらのサイト ↓ に書かれています。

興味がある方はご覧になってくださいね。


  日系アメリカ人収容所問題の真実(佐々木智江 著)


戦争があった60〜70年前は

人種差別は普通にあった時代でした。


外見の違いであからさまに差別をされた時代だったのです。

よく働き 勤勉な日本人に対してのジェラシー、

そして何とも表現しがたい恐怖感のようなものも

あったのではないかと思います。



戦後に東京裁判で、敗戦した日本を徹底的に叩き

二度と日本人が欧米に牙を剥かないようにしたのは、

勤勉な日本人に対する欧米人のジェラシーと

恐怖心があったからではないか…とも思います。


そして、今の時代に「JAP」という言葉を

抵抗もなく使う日本人がいること…。


これはきっと…

歴史を知らない日本人が増えている

ということなのでしょうね。



戦争を知らない世代が増え、

あの時代に生きた日本人や

日系人の苦悩を想像することもなく、

今、平和に生きることができるのは

誰のおかげなのか、

安全に海外旅行ができ、外国で生活ができるのは

いったい誰のおかげなのかを考えようともしない。


歴史を知らず、

知ろうともしない日本人が多くなっている…

ということではないでしょうか…?


これも戦後の教育の賜物なのかもしれません。


日系人の収容は迅速に行われた反面、

解放には4年もの年月がかかったといわれています。


戦争が終了して3年が経過した1948年になって、

当時のトルーマン大統領は

日系アメリカ人賠償請求法を承認させるべく

議会に働きかけを行ったのです。


多くの年月をかけ、1976年にようやく

当時のフォード大統領がアメリカ独立祭の一環として、

フランクリン・D・ルーズベルト大統領が決定した

第9066号を破棄し、

「誠実な清算」は「国家の偉業」と同じように

「国家の過ち」を検証しなければいけないとしたのです。


ところで、わたくし、先日

ワシントンDCに行ってまいりました。

なぜ、長々と ↑ のようなことを書いたのかと言いますと…。

実はワシントンDCにある

「全米日系米国人記念碑」について

記事にしたかったからなんです。


  amerckanJapanese1.jpg

こちら ↑ が その記念碑


『National Japanese-American Memorial』です。


この記念碑は日系アーティストのアカム氏によって作られたものです。

2羽の鶴のようですね。いったい何を意味する像なのでしょうか…?


もうすこし拡大してみましょう。


   americanjapanese2.jpg



   americanjapanese3.jpg



おわかりいただけますでしょうか…?


有刺鉄線で縛られている2羽の鶴の姿なんですね…。


強制収容所に入れられた日系人の悲劇、

苦悩を表している像なのです。


周囲の壁には全米10カ所の強制収容所と

収容された日系人の人数、

そしてアメリカに忠誠を誓うために

ヨーロッパ戦線の最前線で戦い、

戦死された日系米国人兵士の名前が刻まれています。


1976年になって やっと

フランクリン・D・ルーズベルト元大統領が実施した

第9066号の政策は誤りである、

とアメリカ政府は認めたわけですが、

実際に謝罪し、賠償が始まったのは

終戦から43年も経過した1988年の

レーガン政権になってからだったのです。


レーガン元大統領は 次のように謝罪しています。


『Here We Admit A Wrong Here We Affirm our commitment

     As A Nation to Equal Justice Under the Law.』


『われわれは過ちを認める。

国として法の下では平等であることを断言する』…と。


  americanjapanese4.jpg


これによりアメリカ政府による日系人への

正式な謝罪が行われたのですね…。 


戦争は悲劇以外の何ものでもありません。

これからの時代に 万が一大きな戦争が起こったら…!


祖国を相手に戦うことを

余儀なくされた日系米国人兵士の苦悩が

繰り返されることとなるでしょう。


戦後、グローバル化が進み、移民が増え、

外国籍を取得する方が多くなりました。


自分の祖先、両親、親戚、友人がたくさんいる祖国 日本を

敵に回さなくてはならない事態が起こったとしたら…。


悲しく辛いことではありませんか…?


そんなことにならないように

戦争を回避するような政治をしてもらわないといけないのです。


戦争を引きおこさないよう、

世界の中の日本を考えて政治を行うような政治家を

国民は選ばなくてはなりません。



平和憲法があれば大丈夫!

戦争反対!…と叫んでいるだけで

戦争が回避できない状況が出てくる可能性があるんです。


現に大東亜戦争だって、

最後まで戦争突入に反対する日本の上層部が

多かったのですから…。



あの時代、世界の中で孤立してしまった日本は、

ABCD包囲網で資源を断たれ、

ハルノートを突きつけられ、

戦争を回避する手段がなくなってしまったのです。


政治が誤った方向に舵を切ってしまったら…

戦争という道に進まざるを得ない状況になる可能性は

いつだってあるということなのです。


私は「全米日系米国人記念碑」の2羽の鶴の像を観た時、

涙があふれました。



戦争を二度と繰り返してはならない。


そのためにも、日本は歴史に学ばなくてはならない。


そう強く思いました。


ワシントンDCに行かれる機会がありましたら、

ぜひ「全米日系米国人記念碑」を訪れてくださいね。


      【インフォーメーション】


   「全米日系米国人記念碑」

 (National Japanese-American Memorial)

  ワシントンDC キャピトルヒルエリア

  地下鉄レッドライン Union駅から徒歩10分

  Union駅からLouisiana Aveを南に歩いた右手にあります。

    (英語サイト

 
 
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posted by チーム桜子 at 04:14| Comment(4) | TrackBack(1) | 藤えいと@

2011年10月18日

『GHQ占領下の時代、絶望のどん底から這い上がるために頑張り抜いた日本人がいた』

チーム桜子・藤 えいと@です。

去年の4月頃だったでしょうか。

あるきっかけで

WNYでオークションをされている方と知り合いになり、

その方が営んでいるオークションに

参加したことがありました。


そこで見つけた5客のティーカップとソーサー。

それは 「Made in occupied Japan」

つまり

「占領下日本の時代に造られた

ティーカップ&ソーサー」だったのです。


オークションなど経験がない 私たち夫妻でしたが、

うまく希望する価格で落札することができ、

手に入れることができました。


そのティーカップとソーサーはこちら↓ です。

 NipponNoritake1.jpg


すべて手描きの作品です。

少し金の部分が薄くなっている物もありましたが、

全体的に状態は良く、

いい買い物ができたと喜んでおります。


私はこの買い物をするまでは

アンティークにはほとんど興味がなかったのですが、

このオークションがきっかけで、

私は アンティーク、特に「GHQ占領下」で造られた

日本製品に興味を持つようになりました。


そして

「ノリタケ チャイナ」のことを知ったのもこの頃でした。


「ノリタケ」というのは日本の陶器会社のブランドです。


ちなみに…「チャイナ」っていうのは

「中国製」って意味ではなく

陶磁器のことを「チャイナ」、

漆器のことを「ジャパン」といいます。

(ご存知の方も多いでしょうが念のため)


「幕末の動乱期、御用商人だった森村市左衛門は、

鎖国が解かれた日本から

大量の金が海外へ流出するのを

目の当たりにしました。


洋学者の福沢諭吉から

「金を取り戻すには、輸出貿易によって

外貨を獲得することが必要だ」と説かれた市左衛門は

「国のため自ら海外貿易を始めることを決意」します。


そして明治9年(1876)、

東京銀座に貿易商社「森村組」を創業。

弟の豊(とよ)をニューヨークに送って

輸入雑貨店「モリムラブラザーズ」を開き、

本格的な海外貿易を開始しました。

ここに、ノリタケのあゆみが始まりました。

ノリタケHPより

Occupied っていうのは

占領下の、占領された…って意味なんですね。


大東亜戦争に敗戦した日本に アメリカは

「連合国軍最高司令官総司令部=GHQ」を設置し、

昭和20年〜昭和27年までの7年の間、日本に主権はなく、

アメリカの占領下に置かれました。


あの時代、絶望のどん底から這い上がるために

血がにじむほどに耐え、

頑張り抜いた日本人たちがいたのです。


そんな時代に造られたのが

「Made in occupied Japan」の品々なんですね。


敗戦直後の日本人には

ノリタケのような高級食器を買う余裕はなかったので、

GHQ占領時代には

もっぱら欧米向けの輸出として造られたそうです。


ノリタケの製品は 欧米、特にアメリカでは大変な人気で、

当時の進駐軍の将兵が祖国の土産に買って

アメリカに持ち帰ったり、

アメリカ向けに輸出されていったそうです。


戦前の「ノリタケチャイナ」も

欧米、特にアメリカでは人気が高く、

多くの「オールドノリタケ」がアメリカに残っています。


戦争が始まって アメリカにとっては

敵国となった日本ではありましたが、

日本製の陶器「ノリタケチャイナ」は

戦争中も大切に保管されていたのでしょうね。


今年の7月にWNYを離れ、

PA州に引っ越した私たち夫婦。


引っ越しにはいろんな手続きが必要で、

あちこちに行く必要がありました。


先日、運転免許の書き換えのために

ある街に行ったのですが、

(州が変わると運転免許証の書き換えが必要なのです)

その途中にアンティークショップがあり、

帰りに寄ってみました。


そこで「ノリタケボーンチャイナ」の

ディナーセットを見つけたのです。


しかも!

Made in occupied Japan!

このセットを見つけた時、どんなに興奮したか、

おわかりいただけますでしょうか…?

   
NipponNoritake2.jpg

こちら ↑ がノリタケチャイナ、

12人分のディナーセットです。

12人分のセットなのですが一部破損があり、

よく使っていたと思われるティーカップ、サラダ皿、パン皿は

10〜11人分になっていましたが、

大切に使われていた様子が伺え、

全体的にとても良い状態で保管されていたようです。


NipponNoritake3.jpg



NipponNoritake4.jpg 


金箔の部分は全て手描きです。

明治時代に造られた「ノリタケ」は

花柄の部分も全て手描きでしたが、

大正時代より花の部分は

日本人職人により描かれたデザイン画を

「写し絵」の手法でプリントし、

それを色付けしたということで、

これもまたひとつひとつ手で描かれているのですね。 


気が遠くなるほどの 丁寧な仕事ぶりです。


これは芸術と言ってもいいのではないでしょうか…?   


知り合いのアンティークに詳しい友人の情報によりますと、

大正時代後期以降のノリタケは

食器洗浄機に入れて洗っても大丈夫なんだそうです。


それほどクオリティが高い製品造りをしてきた…

ということですね。


幕末の動乱期に

「輸出貿易によって外貨を獲得することが必要」と

アドバイスをした福沢諭吉もすごいですが、

そのアドバイスを受け止め、

「国のため、日本の復興のために海外貿易を始めた

「ノリタケ」創業者の森村市左衛門も

またすごい人であると思います。





 『創立の精神』

「至誠事にあたり、もって素志を貫徹し、

永遠に国利民福を図る事を期す」

「商いとは 我がの利益ばかりを追求するものではなく、

国のため,国民の幸福のためにあるのだ」…

と森村市左衛門は言っているのです。


今の日本にこんな日本人が、

こんな商売人が存在するでしょうか…。


存在して欲しい…と願わずにはいられません…。


 NipponNoritake5.jpg

今回、本当にいい買い物ができたと思っています。

こういうのって…出逢いなのでしょうね。

占領下日本で造られたノリタケチャイナのディナーセットが

アメリカに渡り、

日本のことが好きであったであろうアメリカ人によって

大切に使われ、60年の歳月を経て、

アメリカに住むこととなった

私たち夫婦のもとにやって来たのですから…。

何だか…運命を感じます…。

「Made in occupied Japan 」ノリタケ ボーンチャイナ。

大切に使おうと思います。



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posted by チーム桜子 at 00:23| Comment(3) | TrackBack(0) | 藤えいと@

2011年09月18日

『京都霊山護国神社で英霊に手を合わせる』

チーム桜子・藤 えいと@です。


しばらく投稿が滞っておりました。

実は、私の夫の就職が決まりまして、

そのためにアメリカ国内で引っ越しをしたり

日本に一時帰国したりしていたため、

ちょっとバタバタしておりました。


今、アメリカは日本同様 ものすごい不景気で、

就職ができない若者があふれている状況です。


夫はアカデミックでの就職なのですが、

アメリカはえげつないほどの財政難で、

アメリカの大学も

その影響を強く受けているのが現状です。


で、大学の何がカットされるか…といいますと

人件費なのですね。


つまり新採用を大幅に減らされている…

という状況なのです。


そんな中、日本人(外国人)である 私の夫が就職できた…というのは

本当に驚くべきことで、夫を認め 受け入れてくださった大学に

感謝の気持ちでいっぱいです。


さて、夫の就職が決まったことを

家族にきちんと報告をするために、

私は8月に日本に一時帰国をしておりました。

ちょうどお盆の時に実家(京都)に帰りましたので、

その際に絶対に行っておきたかった場所がありまして

そこに行ってまいりました。


その場所とは…こちら ↓ です。

  No.1.jpg

京都霊山護国神社です。



8月14日〜16日は

東京の九段にある靖国神社に行こうと思っていたのですが、

お盆に私の実家で 家族の集まりがあることが

決まってしまったので東京行きは断念し、

祖先のお墓参りをするとともに 京都の護国神社で8月15日に行われる戦没者慰霊祭に参加することにいたしました。


  No.2.jpg


京都霊山護国神社では8月13日〜16日まで

「みたま祭り」が開催され、8月15日の正午から

「戦没者追悼式」が行われていたので

それに参加してまいりました。


靖国神社には及びませんが、

けっこうたくさんの人がいらっしゃってました。


  No.3.jpg


護国神社とは、

国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社であり、

各道府県に建立され、その道府県出身の戦死者・自衛隊殉職者を

主祭神としています。



京都霊山護国神社は、1868年6月29日(慶応4年5月10日)

明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たち(天誅組など)の

御霊を奉祀するために、京都・東山の霊山の佳域社を創建せよと

の詔・御沙汰が発せられ、


それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本などの

諸藩が相計らい京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが

神社創建のはじまりであり、招魂社であるそうです。


京都霊山護国神社は靖国神社より古い歴史を持つ神社なのだそうです。


  No,4.jpg


祭神の中には京都で暗殺された坂本龍馬をはじめ、

木戸孝允、中岡慎太郎、頼三樹三郎、梅田雲浜、

吉村寅太郎、平野国臣、久坂玄瑞、高杉晋作、宮部鼎蔵ら

幕末勤王の志士1,356柱、明治以降の日清戦争、日露戦争、

大東亜戦争などの戦死者を合わせ約73,000柱が祭神

として祀られています。


この護国神社は大東亜戦争後のGHQ占領下においては

「京都神社」と改称していましたが、

日本の主権回復後には「京都霊山護国神社」と元の社名に

戻されたのだそうです。


ところで、皆さまは地元の護国神社に

お参りに行かれたことがおありでしょうか?


私は…恥ずかしながら京都生まれの京都育ちでありながら、

今まで一度も京都の護国神社に

お参りに行ったことがなかったのです。


八坂神社や清水寺、祇園には何度も足を運んでいるのに、

京都霊山護国神社には一度も行ったことがないなんて…。


若かりし頃はいかに日本の歴史を軽んじていたか…

ということですよね…。



戦没者追悼式では、会長の方が

次 ↓ のように挨拶をされていました。


「今の日本の体たらくは本当に恥ずかしいかぎりであります。

英霊はこのような日本にするために戦ったのではないと

嘆いておられることでしょう。本当に申し訳ございません!

英霊が望まれたような日本にすることが、

本来の日本の姿を取り戻すことが

私たちの使命であると思っております。」


ご挨拶をされていた方は戦争を体験された方でした。


日本のため、家族を守るために戦場に赴き、

戦友たちと共に戦った方なのです。


今の日本の状況は、共に戦い 命を失った戦友に

顔向けができないと感じておられるのでしょう。


会長さんのご挨拶は 私の心にとても痛く突き刺さり、

涙で視界がかすみました。


本当に申し訳ない…。


こんな日本にしてしまったのは

私たち戦後に生まれた日本人の責任です。


いくら きちんと教育をされてこなかったとはいえ、

気がつくチャンスはいくらでもあったはず。


なのに…こんなにも長くほってきてしまいました。


こんな日本にしてしまい、本当に英霊に,先人に申し訳ない…と涙があふれてきました。


戦後、GHQ占領下において マスコミは

GHQの指示のもと一斉に報道規制を行い、

日本人は言論の自由も奪われてしまいました。


戦後、どんどん左傾化していく日本を見て

戦争体験者の方々はどんな風に思われて

過ごされていたのでしょうか…?


元 航空幕僚長の田母神俊雄氏は

『日本の言論の自由は偏っている。

「日本は悪い国だった」と言うことはできるが

「日本はいい国だった」という言論の自由は許されない』

と言われています。


その通りだと思われませんか…?


戦後66年にもなろうというのに、

今でも「日本は侵略国家であった」と教える教科書が

多く存在するのです。


「フジTVはおかしい」と発言しただけで

解雇された芸能人がいることも

「日本には言論の自由がない」ということを

表しているのではないか…と思われませんか…?

私はかつて 若かりし頃は軽〜い左巻きでありました。


私が通った学校には

強烈な日教組教師はいなかったはずなんですけど、

それでも左巻きになるような教育が

なされていたのだろうと思います。


TVの影響もあったのでしょうね…。

戦争を始めた日本は悪だ!

日本は戦争に負けたから平和になった。

だから日本は戦争に負けて良かったんだ。


…と,そんな風に思い込んでいましたから。


だから若い頃は

護国神社にお参りに行こう…という気持ちを

持つことがなかったのだろうな…って思います。


3月11日に起こった東日本大震災の時の日本人の姿は

何とすばらしい…!と世界中を感激させましたよね?


今の日本人がこんなにすばらしいのに、

戦前や戦時中の日本人が鬼のような恐ろしく

残酷な人間であったはずがないのです。


軍人や兵士も含め、あの時代の日本人は、

ただ日本を愛し、愛する日本のために家族のために

あの時代を賢明に生きぬいていただけなのではないでしょうか…?


皆さまはお盆やお彼岸にはご先祖様のお墓参りをされますよね?


日本の国を大きな家族と捉えた場合、

戦争で命を落とされた英霊は 日本国民全員のご先祖様なのです。


そんな風に考えると

自然と「英霊に、先人に感謝する」気持ちが

持てるのではないでしょうか…?



 No.5.jpg


生まれてはじめて参拝した「京都霊山護国神社」。


私は2年前に九段の靖国神社の昇殿参拝を行いました。

その時と同じようなすがすがしい気持ちになりました。


靖国神社や護国神社に一度も

行かれたことがない方がおられましたら

いつの日か 参拝してみてください。


戦争に負けた国は

先人を敬ってはいけない…なんてことはないはずです。


今、私たちがこうやって

生きることができているのは

先人方の存在があってこそなのですから…。


 
 
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posted by チーム桜子 at 05:32| Comment(5) | TrackBack(0) | 藤えいと@

2011年05月09日

『政治に対する関心度 : 日米の違い』

チーム桜子・藤 えいと@です。

先日、日本に電話をかけました。

東北関東大震災のこと、

福島原発の事故のことなどが話題にあがり、

日本はこれからが大変な状況になるだろうな…

ということなどを話しました。


そして震災に対処している民主党のふがいなさに関しても

話が及んだのですが、

その時に、電話の相手の方(Aさん)がこう言われたのです。

「まぁ、自民党でもどこでも同じでしょうけど」…と。

電話の相手の方は、かなりのインテリで

政治に関して無関心ではない方なのですが、

社会や政治に関する情報を

主に新聞から得ているという方なのですね。


で、ここからしばし、政治の話になったわけです。

私 : 「いや〜自民党は頑張ってますよー! 

今、自民党が与党だったら

こんなひどい状況にはなってなかったと思いますねぇ」


Aさん :「そんなことはないでしょ、どこがやっても同じよ」


私 : 「どの党がやっても同じってことはないと思いますよ。

民主党にこれ以上日本を任せていたら

えらいことになると思いませんか?」


Aさん :「あなたね、他でもそんなこと言ってるの? 

政治家でもない人間が政治のことに首を突っ込んで

あれこれ言っちゃダメ」


私 :「え? どうしてですか? 

国民が政治のことを話したらダメなんですか?」


Aさん :「政治にあれこれ文句を言いたいのなら

政治家になりなさい。

政治家でもないのにあれこれ 言うモノじゃない」


私 :「そうなんですか? 日本の政治がどうあるべきか、

国民がいろいろ考えたり発言したらダメなんですか?」


Aさん :「政治のことは政治家に任せておけばいいの」


…国際電話だし、討論するつもりもなかったので

「そうですか」で、この話題は終わったのですが…。


昔から日本では他人とは

「政治と宗教の話はするな」と言われています。

宗教に関してはわかるのですが、

政治の話をタブー視する風潮が

現在においてもありますよね。

今回は、このことついて考えてみたいと思います。


私は成人した頃はまだ学生で、

選挙権はあったにもかかわらず

学生の間は一度も

選挙に行ったことはありませんでした。

学友たちも同じような感じで、選挙時であっても

特に選挙が話題にのぼることもなかったように

記憶しています。

私がはじめて選挙に行ったのは…社会人になってから、

しかも当時勤めていた職場が左巻きで

選挙の時になると選挙活動が盛んであったから…

なのですね。


政治にはほとんど興味がなく、

言われるがまま投票していたのです。

お恥ずかしいことですけれども…。

20歳も過ぎたいい大人なのに

なぜ政治に興味がなかったのだろう…?

そういや家族や職場の友人と

政治のことを話題にしたことはなかったな…と、

今になって思うのです。

友人はともかく、家族との会話の中でも

政治の話が出たことがない…って…。

皆さまのお宅ではどうでしたか? 

ご両親や祖父母と政治を語り合ったことがありますか…?

我が家だけでしょうか…?

いや…きっと、家族や親戚に

政治家がいるという家庭でない限り、

家庭内で政治や政党の話をすることは

さほど多くはないのではないかと思います。


なぜなのか…?


これは学校教育の問題ではなかろうかと

私は思うのです。

学校教育では「政治経済や現代社会」で

一通りの政治の系統的知識を

子供に学習させることになっていますが、

教育基本法第8条第2項において

「法律に定める学校は、特定の政党を支持し

又はこれに反対するための政治教育その他

政治的活動をしてはならない」

と規定されています。


つまり

「教師が特定政党の支持に結びつける目的を持ち、

特定の政治的イデオロギーを一方的に

価値の高いものとして教え込むような教育を行うことは

禁止」されているわけです。


「望ましい政治の在り方及び主権者としての

参政の在り方について」の教育にとどまり、

政党の政策を具体的に学習する機会がないのですね。


その結果、成人して選挙権を行使する際に

どの党に投票してよいかの判断材料を持っていない

という現状があるのではないか…と思うのです。


ところで、外国では

どのように教育がさなれているのでしょうか。


私が住んでいるアメリカにおいては、

家庭内で政治の話が日常的に行われていることが

多いようです。


選挙があったり、

政治家が何か問題を起こしたりした時に、

自然と政治の話が家族間で行われるそうなのです。

(もちろん全ての家庭で そうだとは言い切れませんが)


父親が共和党、母親が民主党支持者(逆もあり)など、

家族間で支持政党が異なる家庭もけっこうあるようで、

そういう場合は、

夫婦間で徹底的に議論しあうことがあるそうなんですね。


子供は幼い頃から政治の話を聞いて育つのです。


そして学校では「共和党派 VS 民主党派」に別れ、

ディベートを行う授業があります。


「共和党派」のグループは共和党、

「民主党派」のグループは民主党に関して

事前に一生懸命に下調べを行い、

そしてディベートに参加し、

生徒同士で意見を戦わせるのです。


そういう授業を通して

政治に関心を持つようになるんですね。

アメリカ人は16〜18歳頃になると

自分が支持する政党が

ほぼ決まっていることが多いそうですよ。


日本と全く違いますよね。


成人式に出席する日本の新成人の何%が

支持政党をしっかり持っているのでしょうね…?


皆さまは

どちらの教育の方がいいと思われますか…?


そして、もうひとつの日本の大きな問題は

日教組の存在です。


教育基本法において

「教師が特定政党の支持に結びつける目的を持ち、

特定の政治的イデオロギーを

一方的に価値の高いものとして

教え込むような教育を行うことは禁止」されているにも

かかわらず、

民主党や社民党(旧社会党)と深く関わりを持ち、

政治的イデオロギーを持って

教壇に立つ教師が存在するのです。

(全ての教師がそうではありません)


私がよく覚えている教師の言葉に

「棄権も国民の権利である」

というものがありました。


つまり

「自分が支持しようと思う政治家がいなければ

選挙を棄権してもいい、それも権利のひとつ」

だというのです。


その当時はさらっと聞き流していましたが、

これってとんでもないことなんですよ!

選挙を棄権することは

「主権を放棄」していることに他ならないのです。


touitutihousenkyo.jpg

見てくださいよ…この年々下がり続ける投票率 ↑ を…。

ものすごい右肩下がりではありませんか…。


ところで、4月11日と24日の統一地方選に

皆さまは選挙に行かれましたか?

今回の統一地方選挙の投票率の平均は

何と52.97%で,過去最低だったそうですよ。


二人に一人は棄権している…ってことですよね?


投票率が最も低かったのは

群馬県館林市の34.97%だったそうです。


今回の低投票率は

「有権者の政治へのあきらめや

幻滅感が投票率に表れた」と

分析されているそうですが…。


ちょっと、ちょっとぉ〜ダメですよぉ〜〜〜!


棄権することは

「政治家が何をやろうとお任せします,

好き勝手やってください」

という意思表示しているってことなんですよ!


政治に関心を持たない国民が多ければ多いほど

いい加減な政治家が増えます。

国民がしっかりと厳しい目で政治を見ていれば

政治家はいい加減なことはできないし、

いい加減な人が立候補することもないのです。


まともな人材がいないから棄権するんだ…

という人もいますが、

人材がいないっていっても、

立候補したその中から

誰かが当選してしまうわけですから。


いい人材がいないと思うなら

自分が立候補すればいい。


それができないのであれば、立候補している人の中から

消去法でもいいから

一番マシな人を選ぶしかないのです。


それが「民主主義」というものなのです。


政治に関心がなく棄権する有権者が増えた結果、

特定のイデオロギーを持つ候補者が

当選することだってあるわけです。


棄権した者のみが被害にあうならいいですが、

選挙の結果は

すべての国民に影響を与えてしまいます。

棄権しなかった人までが棄権した人の

「白紙委任」に迷惑をこうむってしまう…

という現状になっているのが

今の日本の姿ではないでしょうか…?  


「民主主義は最悪で最善のシステム」

であるといわれています。


国民の意向無視の独裁政治ではなく、

民意で選ばれた人物が政治を行う=最善


しかし、数で勝負するため

とんでもない人材が選ばれたり、

とんでもな政策が

採択されたりする可能性がある=最悪


これが「民主主義」の特徴なのですね。


だからこそ!

国民全員が政治にしっかり関心を持って、

間違った方向に流れないようにしなくては

ならないのではないでしょうか。


「国民は一流、政治は三流」

といわれている日本ですが、

「政治を見る目に関しては

日本国民は三流」であると私は思っています。


「政治を見る目に関して一流」になるためには、

普段から政治の話ができる雰囲気を作る必要が

あるのではないかと考えています。


家族の間で自然に政治について話題にすることができ、

ママ友や職場でのランチタイムに

「政治」の話をしても

ドン引きされないムードができたら、

その時こそ!

日本の政治が一流になる時なのではないかな…

と思います。

 
 
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posted by チーム桜子 at 04:58| Comment(8) | TrackBack(0) | 藤えいと@

2011年03月24日

『天皇陛下のお言葉 & 日の丸を掲げませんか?』

チーム桜子・藤 えいと@です。


皆さまはもうご覧になられたでしょうか?

先日、今上陛下が

東北地方太平洋沖地震の被災者 及び全国民に向けて

メッセージをくださいました。

まだご覧になられてない方はぜひ。





私は、Ustream.TV(3/22現在は時間制限付きで放送)で

生放送で陛下のお言葉を聞きました。

心のこもったお優しいお言葉、心にしみました。



動画に寄せられたコメントを一部転載いたします。


「本当に日本人で良かったと思います。

温かく、謹み深く、おごらず、、、

これらの気持ちは

尊敬できる天皇陛下あってこそです。

人を尊敬する心が人を大切にする心となり

温かい世の中を作るのでしょう。

このお言葉は、被災された方のみならず、

国民ひとりひとりの心に

大切な光を灯してくださいました。

ありがとうございました。誇りです。」



「阪神淡路大震災で妻子を亡くし、

生きる希望を失いかけていたとき 、

神戸に見えられた両陛下の、

お慈悲に満ち溢れたご尊顔を拝し力を賜りました。

そのときのご恩に報いるべく、

陛下のこの度の御言葉を肝に銘じ、

1人の国民として皆と力を合わせ、

この国難を乗り越えねばならないと、

肝に銘じました。」



「海外にいます。

国内では見えないことが見えてきます。

陛下のお言葉は日本を救う。

もういちど日本人であることの誇りを

思い出そう。

いつの世も天皇陛下は私たちとともに

生きてくださっているのが伝わるお言葉。」



「私も海外在住です。

遠い国の事ではなく、自分の母国が苦しんでいる時。

天皇陛下のお言葉が、こんなに感動するとは・・・・・

本当に感謝いたします、日本人で良かったと。

ありがとうございます。」



「実は正直、天皇制はもうそろそろ、

いらないかなって思ってました 。

でも、国民に発表されたメッセージを見て、

感激しました。

背筋が伸びました。涙が出て来ました。

こういう国難にこそ、天皇陛下は必要なのですね。

真っ暗な闇の中で皆が仰ぐ太陽のような存在だと、

心から思いました。」



「日本人の節度ある行動に

称賛の声がよせられているそうですが

そうした日本人の美徳を体現しておられるのが

天皇陛下、皇后様です。

その精神が脈々と途切れることなく

続いていくことを願っています」



「この度の未曾有の大災害に

陛下がどれほど心を痛めておられるのか

それを思うとこれほどの温かいお言葉が

心に染みないわけがありません。

日本人は陛下と共に生き

これからも力を合わせ

この国難を乗り切ろうではありませんか。

日本人は絶対に負けない!負けるわけ がない!

失った多くの尊い命、多くの被災者の皆様のために

私達は 今ひとつになって

私達の国愛する日本を

復活させようではありませんか。

天皇陛下万歳! 日本国万歳!」




他にもたくさんコメントが寄せられていました。



天皇陛下は

「日本人にはなくてはならない存在」なのですね。

陛下のお言葉を聞いた多くの国民は

きっと同じ気持ちになったことでしょう。


ところで、今回の震災で

「国の大切さ」を強く感じた方が

多いのではないでしょうか?


私たち夫婦はアメリカに住んでいますが、

外国に住んでいても

祖国 日本は大切な存在です。


先人が築きあげてきた誇れる日本があるからこそ、

私たちは安心して外国で生活ができるのです。


祖国ってありがたい!

日本ってありがたい!…って

つくづく感じながら生活をしています。


皆さま、こちらの写真 ↓ をご覧ください。

sinsaihinomaru.jpg

こちら ↑ は

「産經新聞の3月21日9面」に掲載されていた写真です。


「不屈の日の丸」

「死者・行方不明者が約一千人を数える

 岩手県釜石市にある壊滅状態の商店には、

 春分の日を前に泥にまみれた日章旗が

 掲げられていた。」(産経新聞 桐山弘太撮影)


不屈の日の丸…!

ぶわっと涙が溢れ出ました…。


皆さま! ここで提案です!

日本国民、みんなで日の丸を掲げませんか?

日章旗をお持ちの方は ぜひ!「半旗」で

日の丸を掲げて欲しいのです。


お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りし、

被災された方々が はやく元の生活に戻れるように、

そして、できるだけはやく日本が復興するように、 

日本を支える気持ちで日の丸を掲げませんか?


そして 今後の「日本の祝日」には

日の丸を掲げるようにしませんか?


国旗をお持ちでない方は

靖国神社や明治神宮などの大きな神社に売ってますし、

通販でも国旗は購入できます。


マンション用の日の丸の販売もされているそうです。

(「国旗セット マンション用」で

  検索していただくと出て来ます)


かつて 昭和50年代くらいまでは

祝日には日の丸を掲げる家が

多かったように思いますが、

今では日の丸を掲げる家は激減していますよね。


日教組教育やマスコミのせいで

日の丸がまるで悪者のように

教育、洗脳されてきてしまいましたからね…。


日の丸アレルギーを持っておられる方が

まだまだ多いのではないしょうか…。


だけど日本国民であるならば

「国を大切に思う心」を持っているはずです。


そろそろ日の丸アレルギーを卒業しませんか…?


私が住んでるアメリカでは、

普通に日常的に(気軽すぎるくらいに)

星条旗が掲げられています。


普通のスーパーや、

私の住んでいるアパートのベランダなどにも

ハタハタと星条旗がはためいていますよ。


アメリカ人の愛国心を

うらやましいと思っていましたが、

いやいや!日本人だって愛国心はあります!


この未曾有の災害、国難とも言える「東北関東大震災」を

乗り越えていくためにも、

日本人が一丸となって

日本が甦るよう頑張っていきたいものです。


その日本の国の象徴である国旗、日の丸。


日の丸アレルギーを1日もはやく卒業し、

多くの家庭で日の丸がはためくようになって欲しい…

と願っています。

 
 
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posted by チーム桜子 at 03:46| Comment(9) | TrackBack(0) | 藤えいと@