2013年12月28日

『違和感』

チーム桜子・まるこです。


現地住民の手のひらに穴を開けて針金で通して

数珠繋ぎにして連行しく日本人兵士の図 

ーこれは韓国だか中国だかの反日会館で

説明されているものであるといいます。


これを聞いたとき特に何の感想もなく「へぇ」と

思ったのを憶えています。


今その思いを言葉で表してみれば

「思ってもみない連行の仕方なので頭が真っ白になった」

というところでしょうか?


…数年後偶然見たある記事で「あれ?」と思いました。

北朝鮮から中国への脱北者を北朝鮮に連行する際、

手のひらに穴を開けて針金だか紐だかで数珠繋ぎにして、

という記事。


またその後「暗黒大陸 中国の真実」を読んでいたら

こんな話にぶつかりました。


”車に乗せられていた何人もの中国人たちは

手の上から釘で車の板枠に打ち付けられていた。

著者が抗議すると「村で盗難があり、

犯人が分からないので村人全員を捕らえてきた。

手を打ち付けとけば手錠はいらない」”


またしばらくして知った鎌倉時代の元寇の話。


”元軍(高句麗の兵士も多かった)は捕えてきた日本人を

裸にして、手のひらに紐(針金?)を通して

自分の船にぶら下げておき、侍から放たれる弓矢の盾とした。”


…ここまで来て私は上記の日本人兵士の残虐行為に

結論づけました−これは韓国人(あるいは中国人)の発想である。


日本軍が平和な他国を侵略した、無抵抗な善良な民衆を

残酷に殺しまくったという史観を私たちは学びます。

日本=悪、戦争=悪、と。だけどずっと不思議でした。

人類の歴史とは、悲しいかな、これすなわち戦争の歴史です。


日本も例外ではありません。だけど日清・日露戦争まで来て、

大東亜戦争(太平洋戦争)になると突然悪になる。


私たちは罪悪感に悩まされるのです。

…でその後朝鮮戦争、ベトナム戦争とずっと続くのに

それは不問? 太平洋戦争だけが悪。


日本人も太平洋戦争になると突然狂いだし残虐になり

平和だった他国を侵略し出す。


戦後の自分たちを見ればおっとりとした普通の人間で、

いくら戦争とは言え人間そんなに豹変するものなのか?…と。

この解決できない違和感にずっと悩まされてきました。


曽野綾子のエッセイに、ある警察関係者の話がありました。

つまりその道のプロは犯罪現場を見ただけで

それが日本人によるものかそうでないかが分かるそうです。

顔の皮を剥がされている死体の例があげられていました。


この顔の皮を剥ぐ話もまた数年後偶然週刊誌か何かで

目にしました。中国の犯罪グループ内での殺人で

見せしめのために顔の皮を剥ぐ、と。


これにはおまけがついて、動物愛護HPにあった

「毛皮のための動物の中国式殺し方」でした。

この映像はショックでした。未だに目に焼き付いている。


生きたまま服を脱がせるように皮を剥ぐのです。

毛皮がなくなって肉が直接外に出ていて、

まぶたもない状態で動物はまだ生きている。

殺すなら何故一撃で殺さない?それが慈悲です。


これを見て「中国人だったら顔の皮を剥ぐくらい

平気だろうな」と納得しました。


…これらの話の発信源はみんなバラバラで、

だからこそ信憑性がある。…

こういうことが山ほどあって中国・朝鮮半島人の民族性、

日本人の民族性、白人の民族性というのを考えるように

なりました。


ある時アフガニスタンでドイツ兵が頭蓋骨を持って

記念撮影をしたという問題記事がありました。

殺したユダヤ人から金歯を取ったりしていたドイツ人、

殺した日本人の金歯をとったり、

頭蓋骨を記念に持っていったりしたアメリカ人の事を

既に知っていたので「民族性は変わらないね」と思いましたね。


日本人には基本的にこういうことはできないと思います。

何故なら私たちには、死者を粗末に扱うと祟られるという恐怖が

ありますから…。


民族(あるいは国民)というのは、良くも悪くも

その民族性、その発想の仕方から逃れることはできません。


この「違和感」というのはすごく大切だと思います。


これは、言葉にならない、でも何か心に引っかかるものが

ある時の直感。昔はこういう感覚は押さえ込んでいたのですが、

人と接する時などでもこの直感が後で正しかったことが

たびたびあり、今ではこの直感に耳を傾けるようになりました。


昔、20年以上前の話ですが中国旅行をした時中国人ガイドに

ずっと不思議に思っていたことを聞きました。

「例えばみんなが医者になりたくて、でも病院に医者のポストは

10しかなかったらどうなるんですか?」  

私は思想書とか哲学書とか全然読みません。

私のバカな頭ではついていけなくて

「だから、どうした?」となってしまうからです。


でも「共産主義はみんな平等で、仕事も好きなものに就ける」

と聞いていたので。この中国人ガイドは私が何故そんなことを

聞くのかが分からないようで悪びれもなく答えてくれました。


「だから大学出て就職という時は大変だよ。行きたい職場に

コネのある教授を見つけて、友達の友達のその友達の友達とか…

其々お礼をしなきゃなんないし」

今思えば私の単純な疑問は正しかったと分かります。


戦後生まれの私たちはその時代の実際を知っているわけでは

ありません。みんな間接的に見聞きするわけです。

それを研究している専門家ではありませんし。

でもだからこそこの違和感というのを大切にしなければ

いけないと思います。そうでなければ言ったモン勝ち…。


何でも言われるままを鵜呑みにするのではなく、

心の奥底に感じた小さな微かな「違和感」を大切にして

いきたいと思います。

 
 
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posted by チーム桜子 at 01:46| Comment(3) | TrackBack(0) | まるこ
この記事へのコメント
本当ですね。
Posted by さらに at 2013年12月28日 11:51
支那人や朝鮮人が、自分達だったらそうするという視点で、日本人の仕業にしていた。
そして日本人は素直で謙虚だから、それを鵜呑みにしちゃう。
心の奥底に感じる小さな違和感は、大きな真実のことがありますよね。
Posted by 葉桜 at 2013年12月28日 14:17
おっしゃる通りです。
私自身も、何の専門家でもない平凡な主婦ですが、今まで、ふと覚えた違和感は、後々、やっぱりそういうことだったのか・・・ということがいくつもあります。
こういう感覚を見過ごしちゃいけないですね。

欧米人で、日本人を鬼畜、中国人を仲間、という目で見る人が今でも少なからずいます。
多分、彼らが真実を知る日は来ないのでしょう。戦争が終わって、こんなに年月が経っても、いまだに負けたことの重さを思い知るばかりです。

今年も、桜のブログ応援しています。

Posted by 豆助 at 2014年01月04日 11:31
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