2013年11月21日

『トロントのロブ・フォード市長スキャンダルと南京虐殺記念日宣言 』

チーム桜子・マリノフ利江です。


今トロントが世界中の注目を集めています。


理由はロブ・フォード市長のコカイン使用や飲酒運転、暴言などが

次々浮上して、メディアの報道が異常に過熱しているからです。

とうとう市議会で市長の権限を制限することが決定されました。


Rob Ford 1.jpg


フォード市長の言動は問題です。

しかし、市長に対するメディアの扱いや報道は異常です。

フォード市長の私生活にも踏み込んで徹底的に叩いています。

これは安倍首相が第一次政権でマスコミから叩かれたことと

非常に良く似ています。


トロントからメディアの報道を見ていますが、

まったくアンフェア。


市長は、増税をしない、公共交通機関のストライキの規制、

ごみ収集の民営化など歴代市長が

まったく手がつけられたなかった問題に取り組んで

大きな成果をあげています。

メディアはスキャンダルのみを強調し

これらの業績の評価していません。


盲目的に市長を支持するわけではありませんが、

私はフォード市長を支持したいと思っています。


それは上記にあげた理由以外に、もうひとつ大きな理由があります。

それは、昨年のトロント市南京虐殺記念日の宣言に

反対していたからです。


宣言はトロント市のプロトコル・サービスが取扱いますが、

そこにでは明確な決まりがあります。

例えば、宗教やイデオロギーに関する宣言は出さないなど。

そのため市長は最初から一貫して南京の宣言には

反対の態度でした。


それを必死の“努力”で覆したのは

中国系カナダ人のクリスティン・ウォン‐タム市議です。


昨年12月にトロント大学開催された南京虐殺75周年の

イベントに間に合うように市長の署名を取り付けたかったのか

ウォン‐タム市議は必至でした。他の議員を巻き込んで

市長を説得したり南京に関するDVDや資料、

アイリス・チャンのザ・レイプ・オブ・南京など

あらゆる資料を市長に送りつけ説得を試みました。


でも市長はそれをまったく無視し、ウォン‐タム市議には

何も返答しませんでした。


彼女はしびれを切らし直接市長と話をして

宣言に同意するように迫りますが、そこでも市長は

きっぱりと拒否したのです。


風向きが変わったのはウォン‐タム市議はじめ数名が

11月28日にトロント市庁舎でメディア向けに

記者会見をしてからです。


彼女は市長が「歴史に向き合わずに事実を否定している市長」

というようなイメージを作り圧力をかけていきました。


結果的には市長は同意してしまいましたが、

最後まで抵抗してくれたことはトロントに住む日本人にとって

大きな励みになりました。


カナダ最大の都市であるトロントの中心部は

リベラル左派の牙城で、保守系候補が市会議員に

選出されることはまずありません。ウォン‐タム市議も

ダウンタウンの選挙区から選出されています。


トロントは多民族が集まる大都市ですが

市長の口からでてくるのは「多文化主義」や「多様性」などの

聞き飽きた言葉ではありません。


「納税者を大切にしよう」です。


市長はいつでも「納税者のために」ということを

訴えているのです。当然のことながら財政的に保守的な市長は

市の中心部に住むリベラル左派市民には人気がありません。

しかし、2010年の市長選挙では中心部以外すべての地区で

票を獲得しました。


Rob Ford 2.jpg


フォード市長の言動には品格がない、トロントの恥だ、と

メディアもリベラル左派も大声をあげ辞任を迫っています。


先日トロント市長舎前で行われた抗議活動には

反市長派市民が太鼓や打楽器を持って集まり

「ロブ・フォード辞めろ!ヘイヘイ〜ホーホー」と

歌いながらお祭り騒ぎでした。


日本で報道されるフォード市長のスキャンダル事件は

事実を伝えていません。メディアの偏向報道は日本もカナダも

まったく同じです。


フォード市長自身が問題を抱えていることを認めています。

そして深く反省をし、市のために尽くすと宣言しています。

私はフォード市長の言葉を信じます。


南京虐殺宣言を阻止できるのは

フォード市長しかいないのですから。




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posted by チーム桜子 at 12:13| Comment(5) | TrackBack(0) | マリノフ利江
この記事へのコメント
 ご苦労さまです。
 南京事件と言えば、やはり日英両国語を併記して書かれている『再審「南京大虐殺」 The Alleged Nanking Massacre 』(明成社)には、説得力があると思います。

 以上です。

Posted by 川にゃ at 2013年11月21日 15:30
今からもう十数年前、私が仕事でアメリカへ行ったときに聞いた話をします。
(具体的な内容は個人が特定されそうなので書けません、ご了承ください)

当時、アメリカの企業と日本の企業が共同でとある実験施設を作る計画が立ち上がった。
私の会社はそこに大きな機械をいくつも納入する事になったため、私を含め会社の10名ほどが現地の視察や今後の打ち合わせをするために向かう事になった。
場所はアメリカ中部の砂漠地帯、かなりの田舎にある場所で、周囲には寂れた町が一つあるだけだった。

その町に到着して3日ほどしたある日。
丁度私と上司が打ち合わせするはずだった人がこちらに来られなくなり、上司から先に帰っていても良いと言われ、私は一足先に宿泊先のモーテルに帰ることにした。
先ほども書いたようにそこは辺鄙なアメリカの田舎町。
モーテルにいてもする事が無い。
私は暇をもてあまし、特にあても無く町中をブラブラする事にした。
が、やはり暇で目的もないため、近場にあったお酒の飲めそうなレストランに入る事にした。

そこはどうもレストランというより酒がメインだったようで、時間が早い事もあり自分以外には東洋系の老人が一人いるだけだった。
テーブルにつき食べ物やビールを注文していると、先客の老人が
「あなたは日本人か?」
と尋ねて来た。
私が
「……そうですが」
と答えると、老人は
「やっぱり、もしお暇でしたら少しお話をしませんか?」
と言ってきた。
私は断る理由もないので、はいと答えた。
その時私は、単に老人のとりとめのない世間話や昔話を聞くだけだと思っていた。

が、実際には違った。
老人の話は非常に重く、恐ろしく、おぞましい、老人の過去にまつわる話だった。
老人は1960年代後半にアメリカへ移住してきた移民一世だった。
元は中国のとある省の生まれらしい。
老人はある事件をきっかけになけなしの蓄えを全て賄賂につぎ込んで中国を脱出し、着の身着のままアメリカへと移民してきた人だった。

その事件とは、1966年から中国に吹き荒れた文化大革命に関係するものだった。
文革当時、老人は結婚したばかりの奥さんとまだ小さな子供の3人で小さな靴屋を経営していたらしい。
老人の話によると、文革が起きたといっても都市部で小さな靴屋を経営している老人には当初殆ど影響が無く、町中でプロパガンダの広告や街宣車を見かけても何か遠くで起きている出来事のようにしか感じなかったとか。
しかし「反革命的」という言葉を聴くようになってから自分の周囲の何かがおかしくなり始めたらしい。
最初は、近所にあったお寺の僧侶が連行されたという話だった。
その僧侶は結局帰ってこなかったという。
僧侶が連行されたのを皮切りに、近所の教師や医者や金持ち、政府に批判的な人などが次々と「連行」されていなくなり始めた。
そして、ついにはそれらとは全く関係の無い一般人も次々と「連行」され始めた。
老人には何が起きているのかわからず、ただただ恐ろしく自分達の身にこの不幸が降りかからないよう身を潜めるしかなかったという。

老人は店に来た客からある噂を聞いた。
「どうも連行された人達は子供たちに密告された結果らしい。子供たちは自分の親や学校の教師ですら躊躇無く“密告”している」
と。
老人には信じられなかった。
子供たちの何人かは老人も知っていて親と共に自分の店に靴を買いに来たこともある。
そんなごく普通の子供たちが、自分の親や教師を密告している。
あまりにも現実離れしていた。
しかし、老人の町にも「紅衛兵」と呼ばれる集団がやってくると老人もその事実を信じざるをえなくなったらしい。

そんなある日、老人が国を捨てる決定的な出来事が起きた。
その日、共産党からの命令で老人はある学校に生徒用の靴を納入しに行く事になった。
老人が荷車に靴を載せて学校につくと、学校の裏庭から何かを調理する良い臭いがしてきた。
臭いが気になった老人は荷物を係りの人に渡すと何気に裏庭に回ってみたのだという。
そして、そこで老人は信じられない光景を目にした。
そこにあったのは、うず高く積み上げられた死体と、嬉しそうにそれらを解体し調理する子供たちの姿と、無表情に子供たちにあれこれと指示を出す地元の共産党員の姿だった。
死体の中には、老人のよく知っている医者の姿もあったらしい。
(実際にはかなり生々しく、具体的に“調理の様子”が語られたのですが、あまりにも酷い内容なのでカットします)
老人はその場を離れると、その場では何事も無かったかのように振る舞い学校から逃げ出した。
そして人気の無いところに行くと胃液しかでなくなるまで吐き続けた。
老人は今でもあの光景を夢に見て夜中に目が覚めるのだという。
家に帰ると老人はなけなしの蓄えをかき集め、奥さんには殆ど事情も話さず夜逃げの準備をさせ、その日のうちに町から逃げ出した。
老人は仕事のツテや昔アメリカに移民した親戚などを頼り、貨物船の船長に賄賂を渡して密航しタイ経由でアメリカに移民したのだという。
その後も共産党に怯えながらアメリカの田舎でひっそりと暮らしてきたらしい。

恐ろしい話だった。
文化大革命がかなり酷い事件だったとは知っていたが、ここまでとは知らなかった私は老人の話をただただ聞くしかできなかった。
老人は最後にこう言った。
「当時人間を解体し食っていた子供たちは今どうなっていると思う?」
と。
私が
「わからないです」
と答えた。
すると老人は、その後ある程度外国との手紙のやり取りなどが自由になり、中国に残っている知人などから聞いた話によるとと前置きし
「大半は紅衛兵となりその後地方へ追放されたらしいが、共産党に従順だった子供たちは出世を重ね、今は共産党の幹部になっている」
そして、こういう事は当時中国全土で起きていたらしいのだという。
老人は続けた。
「当時の子供たちは今は40代後半から50代、いずれ共産党の幹部として国を動かす立場になるだろう。人としての第一線を超えてしまったやつらが国を動かす事になるのだ」
老人は立ち上がると去り際にこういった。
「あいつらを信じてはいけない、あいつらは悪魔だ、日本人ならこの事は決して忘れてはいけない」

以上、これが当時私が老人から聞いた話の全てです。
Posted by j at 2013年11月21日 17:41
映画「ハンナ・アーレント」が上映されています。

ハンナ・アーレント「国民国家の没落と人権の終焉」ノート http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/120331HannaArendt.html
Posted by junn at 2013年11月21日 18:51
週刊新潮「朴槿恵(パククネ)大統領の父は『米軍慰安婦管理者』だった!」

http://www.hoshusokuhou.com/archives/34264957.html
Posted by junn at 2013年11月22日 07:26
すごいですね!
本当のことと、思います。
Posted by HAKO at 2013年11月23日 21:37
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