2015年11月14日

『大統領を越える存在???』

チーム桜子・神保京子です。


長らく軍事政権が続いていたミャンマーで総選挙が行われ、

アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が大勝し、

政権交代が見込まれるとのことです。


アウンサンスーチーさんは、外国メディアに対して、

『次期大統領には何の権限も無い。

自身の大統領就任を禁じた憲法規定合わせるために

任命したに過ぎない。私が全てを決する。』

と述べたそうなんです。

全部の文脈が分からないのですが、この言葉だけを聞いたら

スーチーさん、めちゃくちゃ言ってません???


ミャンマーの憲法の規定に家族に外国籍の人がいたら

大統領になれない。というのがあって、

亡くなったイギリス人の旦那さんとの間に

イギリス籍の息子さんがいるために大統領になれないのだ

そうです。


う〜ん。


だったら息子たちをミャンマー籍にするとか、

それが嫌だったら、改憲を目指して

その後に選挙をもう一回やって大統領を目指せば

いいんじゃないでしょうか?


ミャンマーの歴史をチラッと調べてみたら、

イギリスがミャンマー(ビルマ時代)に対して行った統治が

もうめちゃくちゃで、独立後の軍事政権がイギリスに対して

ものすごい不信感と警戒心を持つのは

当たり前なんじゃないでしょうか?


イギリスはミャンマーを統治するときに、

イスラム教徒のインド人や華僑を入れて

他民族宗教国家に作り変え、山岳民族(カレン族など)を

クリスチャンにして統治に利用、民族による分割統治を

行ったそうなんです。

それで、

インド人→金融

華僑→商売

山岳民→軍、警察

ビルマ人→最下層の農奴

に分断したために、現在でも

民族間の対立の元になっているのだそうです。


こんなに酷いことされても、イギリスに留学し、

イギリスで政治、経済、哲学を学び、イギリス人と結婚し、

イギリス人の子供をもうけたアウンサンスーチー氏に

前政権が警戒感を持つのはある意味、

不思議ではないのじゃないかと思ってしまうのです。


日本の報道だと、まるでミャンマーに夜明けが来たかのような

歓迎振りですが、今後、スーチーさんがどのような政治手腕を

発揮するのかは未知数ですし、どうにもミャンマーの未来が

本当に明るいものになるという確信が持てません。

とはいえ、日本は大戦中にビルマの独立を助けるために

イギリスと戦った仲間でもあります。

これからのミャンマーが繁栄してくれることを

心から祈っています。

 
 
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posted by チーム桜子 at 14:09| Comment(3) | TrackBack(0) | 神保 京子 
この記事へのコメント
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Posted by 「日本学会」会長 at 2015年11月15日 19:21
「デモクラシーを問う」という命題があると考えます。
「デモクラシー」というのは普遍的であるのか、あるいは公式主義的に制度化・形式化できるのかということです。

イラクがアメリカに侵略され、フセイン政権が崩壊し「民主化」というキーワードが出た際にも同じような違和感がありました。
そもそも「デモクラシー」というのは、基本原理は普遍であっても、その具体的な制度・形式には国の数ほどに多様なあり方があってしかるべきではないかということです。
要するに「その国の現実に創造的に適用したデモクラシー」が存在するのだろうし、また存在すべきではないかと私は思うのです。

我が国も天皇陛下の御統治を大原則とする日本的なデモクラシーがあるべきであり、それは立憲君主制と共和制をそれぞれ採用する世界各国においても同様の定理を見出すことができましょう。

「国民による公正な普通選挙で独裁者を選出し、一定期間の任期を定めた独裁政治を許容する」
という「デモクラシー」があってもいいと思うのです。
国や地域によっては独裁者の強権政治でなければ、そもそもの国や社会の秩序や安定を確保できないということもあるでしょうから。

とは言っても、やはり「ミャンマーの春」といった報道には「?」です。
スー・チー氏の発言は法の支配による立憲主義を否定するかのような内容ですし、ある意味の「院政的独裁者宣言」そのものですから。
ここで本来は憲法改正を含めた議論があってこそ「デモクラシー」と言えそうですが・・・。
「軍部の独裁政治より、民主的プロセスを経た独裁政治の方がマシでしょ?」とでもいうのでしょうか。
ともあれ結果は結果ですからこれから「先」に要注目です。
「イギリス人」で「キリスト教徒」で「欧米諸国と太いパイプで繋がっている」という人物の「民主的独裁政治」の幕開けが何を意味しているのか・・・。
世界が「革新の時代」という中にあって「国民国家」の存亡にも関わる諸問題が、ミャンマーというアジアの一国をひとつのサンプルにして、ある種の「実験」が始まったようにも思えてなりません。

注視すべきところ、議論を深めていくべきところはやはり表層的な「春」ではなくして、地中に蠢く「何か」であるところに「ミャンマーの政権交代」のエッセンスがあると考えます。
Posted by 「日本学会」会長 at 2015年11月15日 20:02
女だけの集団が企業作って世界的に大成功した例が皆無というだけでフェミニズムは論理的に崩壊してる。
きつい差別があるはずの民族マイノリティーは成功してるのに。

男社会や、家父長的制度を絶対否定しながら、家父長的要素をもつ集団に寄生しない限り何もできないのが、女とフェミニズム。

フェミニズムとは、共同体や機能体がもたらす抑圧は差別といって否定しながら、共同体が生み出す恩恵は誰より先に自分が享受しようとする思想。

東大教授という社会的リソースを食いまくる職業につきながら、無責任な批判のみを繰り返して何一つ生産的なことをしない上野千鶴子先生のような生き方のこと
Posted by otaka at 2015年11月17日 21:50
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