2015年10月15日

『ラグビー日本代表』

チーム桜子・神保京子です。


ラグビー日本代表がワールドカップで

南アフリカに歴史的な勝利を得てから、

にわかにラグビー人気が出ているようです。


以前、日本代表のエディー・ジョーンズ監督の特集を見て、

とにかく世界一の練習を!!!と言って、

めちゃめちゃハードで厳しいトレーニングと世界で戦うために

心優しい選手が泣くまでメンタルトレーニングを

している所をみて、このおじさんむっちゃ怖い・・・。

と思っていました。


そんなめちゃめちゃ辛い練習をこなしてきた彼らが

成績を残すことができてとても嬉しく思います!

おめでとうございます!

で、不思議だったのが日本代表と言いつつ、

別に日本人でなくとも代表になれるということ。


ラグビー日本代表の基準は

@ 本人が日本生まれ

A 両親か祖父母の一人が日本生まれ

B 本人が続けて3年以上日本在住

と、国籍はあまり関係ないようです。

何と言うか、ちょっと不思議です。


日本代表になって、もし母国のチームと戦うとなった際に

モチベーションが下がったりはしないものなのでしょうか。

アスリートにそんな事を言う方が無粋なのでしょうか。

数年前に猫ひろしがオリンピックに出るために

カンボジア国籍を取得した時は、日本で代表になれないから

カンボジア人になったじゃないの〜?

なんて叩かれていたように思いますが、

今回はそんな事は間違っても言っちゃダメな雰囲気が

あるんですよね。


タレントの乙武さんはラグビー日本代表を絶賛して

『国籍より頑張って戦う気持ちが大事』みたいに

言ってましたが、

国籍ってそんなに軽いものなのかなぁ。

と思ってしまうのです。


肌の色が違っても生まれた国が違っても、

日本国籍を取得して日本のために戦ってくれたら

そりゃ言うことはありません。

が、そうでない場合にどうにも日本人だけの力で

勝ち取れたわけではない“勝利”である。

という事実が付きまとうので、国際試合で勝った勝った!

と手放しで喜べない自分がいるんですよね。

なんと言いますか、看板と中身が違う違和感てのは

皆さん感じないものなのでしょうか。


こう書くと私は排外主義者とか言われそうですし、

ラグビーという競技自体が選手に厳格な国籍基準を

そもそも求めていないので、別に構わないんだ。

というのはわかります。

が、ラグビーの皆さんの活躍だけを以って、

国籍が軽んじられるのはちょっと違うのではないか

と思いました。

 
 
ブログ村 ブログ村
posted by チーム桜子 at 16:40| Comment(12) | TrackBack(0) | 神保 京子 
この記事へのコメント
ノーベル医学=生理学賞・物理学賞の日本人連日受賞という報道に沸き立つ中で日本ラグビーの歴史的大活躍。
久しぶりに明るいニュースが立て続けに報じられたことは本当に気分のいいものでした。

革新がもっとも進んでいるのは、貿易や投資が自由化された経済の分野ですが、スポーツの世界も今では世界的に革新が主流になりつつありますね。
すなわちボーダーレスなチーム編成で、多国籍選手で構成されるといった感じです。

「スポーツや芸術に国境はない」とよく言われますが、正確には「スポーツや芸術は国境を超える」が一番真相に近いと思っています。
革新系が占めるスポーツ界にとって「国籍」はあまり大きな意味を見出さなくなってきているのかもしれません。
ただこれからおそらく「国籍」を意識せざるを得ない時代に入ってくるはずです。
スポーツひとつにしても、東京オリンピックが始まる前後には「世界と国家」を意識・認識せざるを得ないでしょうし、同時に「国旗」が掲揚され「国歌」が流れるシーンを目の当たりにするわけですから、「国」という観念に向き合う日本人(選手ら含め)も増えるのではないかと思います。

サッカー解説者のラモス瑠偉氏はかつて、選手個人のポテンシャル、チームそのものの組織力は世界レベルだが、その日本サッカーが世界に勝つために唯一足りない必要不可欠なものは「ずるがしこさ」と断言しました。
最近、サッカー中継を観ていても「ズルい!」とか「卑怯だなあ」とかいちいち腹を立てるのが馬鹿らしく思える自分がいます。
日本人選手もファールを取るために「ズルくて卑怯」な「うまい手」をよく見せるようになりました。
そうです、
「ズルくて卑怯でいやらしい」
様々取り混ぜた「テク」こそ「世界レベルの戦術」というわけです。

私は思うのです。
「世界レベルになるためなら、それだけ“汚れ”になることを歓迎するべきなのか」
それとも
「たとえ最弱となっても死語となったスポーツマンシップを最後まで貫徹するべきなのか」
と。

大東亜戦争で特攻隊まで出した我が国のあるべきスポーツの姿とはいったい何なのでしょう?
「勝つためならどんな汚い手も使う」のか、「負けても清々しいまでに清廉潔白」であるのか・・・。

「世界一紳士的で、正々堂々としていて、一人として反則をせず、相手に敬意を払う。しかしそれがために試合に勝てない最弱なチーム。日本代表とはそういう誇り高き存在である」
こう、世界の人々から尊敬されるような「あり方」を目指すという意見はなかなか賛同を得られないでしょうね・・・。

「国籍」に関する想いもそうですが「日本人のスポーツ」という「あり方」も含めて、思うところの多いトピックだと思いました。
Posted by 「日本学会」会長 at 2015年10月15日 22:06
国境なきスポーツの世界

ラグビーワールドカップでの日本の快挙が世界でも沸き立ち日本ファンの国際化が目立つ報道が目立った。ラグビーにも選手となる基準が設けられているが国籍の条件はそれほど厳しくない。いずれは全くの無条件になるかもしれない。スポーツの世界はそういうものだ、大リーグの様にトレードが自由にあって良い、実力の強いチームが勝つのが真に純粋な理屈だ。何かと日本叩きを好むマスコミ諸君もこればかりは偏向報道は慎まねばなるまい。今は勝った負けるではない、日本のチームはどんなチームか、国民は知りたい。国籍を超えた同じ日本の仲間、みんなで歓迎したい。
Posted by 自由と言論の会 設楽雅彦 at 2015年10月16日 00:13
エディ・ジョーンズが日本のラグビーに警鐘鳴らしてる。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/166283/1

日本の腐った学閥エリートとラグビー協会はすぐダメにする
Posted by moga at 2015年10月17日 14:33
※またしてもトピックと関係のないワクチンネタ推し&「ラディカル小児病」的投稿が目立っていますが・・・

+自由と言論の会 設楽雅彦さま
コメント(10月16日 00:13)を拝読いたしまして。

こんばんは。
とても大切なお話をしてくださいました。

「国籍を超えた同じ日本の仲間、みんなで歓迎したい」
まったく同じ想いです。
先のコメントでも申し上げましたが、「スポーツや芸術に国境は無い」というのは正解ではありません。
正しくは「スポーツや芸術にも間違いなく国境はあるが、それを超えていくものだ」と考えます。
「ナショナル」と「グローバル」という新たな主体の立脚点が問われる命題でもあろうかと考えさせられる思いです。

考察を巡らすと、様々な思考と論理が生まれるトピックですよね。
「スポーツと日本人」そして「あり方」をめぐる論議は広範な視点と論点での内容に発展しそうな気がします。
「グローバル選手と日の丸」といったテーマの議論も深めていけそうなトピックであると思います。
Posted by 「日本学会」会長 at 2015年10月19日 00:31
+mogaさん
コメント(10月17日 14:33)を拝読いたしまして。

こんばんは、はじめまして。
「エディ・ジョーンズ氏の日本ラグビーへの警鐘」という記事、拝見させていただきました。
先のバスケット協会・連盟の内紛例等を含めた「村社会」的な実態にもメスを入れるべきであると私も思います。

「体育」か「スポーツ」か。
どうも論旨の命題はここに集約されていくのではないかと思えてなりません。

我が国では「体育」の延長線上にプロスポーツ(職業スポーツ)の世界(業界)があります。

しかし、世界のプロスポーツの世界ではまず「自己解放の幸福」に機軸を据えた「スポルト(楽しみ)」がベーシックにあります。

我が国では「スポーツマンシップ」に則る「正々堂々」とした心身の鍛錬を通じて人格の陶冶および徳器の成就を目指す「教育的修練」としての「体育」がベーシックになっている「名残」があります。

果たして我が国は欧米型の「スポーツ」へのエッセンシャルな転換を目指していくのか、あるいは歴史的伝統の名残のある「体育」のエッセンスを平成の現代に創造的に適用していく努力に勤しむべきなのか・・・その答えは割れそうですね(いえ前者のほうが圧倒的な主流派でしょう)。

今は「欧米型スポーツ」への転換こそ「世界レベルのスタンダード」といった「社会政治的定説」が定着しつつありますから、こうした世の中の趨勢に目を向けつつ、あるべき日本の「スポーツ」の今と未来に「日本(国体の本義)を主体に据えた考察と提言」に勤しむべき必要があるのではないかと思いました。
Posted by 「日本学会」会長 at 2015年10月19日 00:50


  トピックと関係ありませんが・・・。

NHKの視聴者の皆さまと語る会が、現在、沖縄にて視聴者募集中みたいですよ!

沖縄の皆様でNHKに対して意見のある方は募集されてみては?


Posted by おかゆ at 2015年10月19日 14:53
※チーム桜子各位

コメント欄が荒らされています。
御ブログのクオリティが損なわれ、印象の悪化も懸念されます。

書き込みの削除等、しかるべき運営・管理上の処置を願います。
Posted by 「日本学会」会長 at 2015年10月19日 22:23
日本学会様

いつもコメントをありがとうございます。「グローバル選手と日の丸」、正に主体的な立脚点と今後の展開する論点に日本選手の力量と科学的考察を重ねて一考する価値があると思います。サッカーに続いて日本人の知恵と学習で新たな才覚を取り入れた世界に通用する体現をとことん期待できると思います。

本稿記事内容と離れますが、私たちは新しい歴史教科書をつくる会の賛同者でした、掲示板の告示力は絶大なものです、桜掲示板がリニューアルされ大勢の参加者の方が去って行き残念に思いましたが民主党政権は倒れ、危機的状況が去ったのですから国民運動の成果と国民の危機意識が良識の判断を呼び覚ました形が現れていると思います。言論には言論の責務を1人1人が持っています、こちらのブログでも攻撃的なコメントが多いことも多々ある様ですが、平然こそ最大の攻撃でもあると思います。知られない所でこそ日本人らしくありたいものです。
Posted by 自由と言論の会 設楽雅彦 at 2015年10月20日 02:08
+自由と言論の会 設楽雅彦さま

こんばんは。
こちらこそいつもありがとうございます。

私の愚見・愚考に対するあたたかいご賛同とご見解を頂戴いたしましたこと、重ねて深く御礼申し上げます。
来たる東京オリンピックを前後して、「体育」か「スポーツ」かも含めたエッセンシャルな主体的立脚点に向き合う時代に入っているのだろうと私も思います。
その際は、教条主義的に「欧米型スポーツ」への転換へ勤しむのではなく、まさにお話の中にありますように和洋折衷・和魂洋才ともいうべき「摂取醇化」する「あり方」の模索が重要であろうと思えてなりません。
以前にも自己PRをさせていただきましたように、私が世に賛同を呼びかけているところの「国体の本義*」の中にも詳述されているところの「国体明徴の姿勢」すなわち
「現下国体明徴の声は極めて高いのであるが、それは必ず西洋の思想・文化の醇化を契機としてなさるべきであつて、これなくしては国体の明徴は現実と遊離する抽象的のものとなり易い。即ち西洋思想の摂取醇化と国体の明徴とは相離るべからざる関係にある。」(**国体の本義【結語より抜粋】◇昭和12年5月31日発行・文部省編纂)
という主体的立脚点も、「体育」あるいは「スポーツ」の「今」と「未来」向き合う上で、極めてエッセンシャルなポリシーないしスタンスであると考えます。

「本稿記事内容と離れますが」から続くお話、承りました。
拝読させていただき思ったところ、常日頃当該論旨で思うところを私もトピックと離れて述べさせていただきます(少々本音で参ります、ご迷惑となりましたら申し訳ありません)。

個人的には「ネットの力を過信しすぎた」ことの「失敗」を経験しています。
それはお話の中にもあります「民主党政権」の「誕生前」の出来事です。
当時は新聞・ラジオ・テレビも「政権交代待望論」一色で、かの三宅久之氏においてすら「一回やらせてみてダメだったらまた変えりゃいいんですから」と民主党政権誕生に後押しするような発言を繰り返していました。
ご存じの通り当時の民主党には「マニフェスト(表)」のほかに一般にはほとんど知られていなかった「政策集INDEX」という名の「裏マニフェスト(密約)」を準備していました。
その中には「表向きのマニフェスト」には一切記されていない「外国人参政権の実現」や「夫婦別姓制度の実現」その他「国籍法の全面改正(改悪)」等のとんでもない内容が記載されていたのです。
そのため当時、在野の一般保守有志ら(私ども含め)はネットはもちろん各地・各分野の現場で民主党の危険性についての説いて回る活動に勤しんだりもしました。
ほどなくネット上でも「民主党が政権を握れば危ない」「とんでもない反日売国政権が誕生する」などという声が圧倒的となりました。
私はこのとき「何とか助かった」と思いました。
正直「残念ながら民主党は政権を取ることにはなるだろうが、それでも勝敗ラインのギリギリとなり、国内的議論が紛糾し世論も真っ二つに割れるであろう政策集の内容が実現するのをかろうじて防げることにはなるのでは」と「淡い期待」を持ったのです。
結果は「民主党の圧勝」でした。
このとき私は「あのネット上の多数の声は一体何だったんだ」と大いに失望したのです。
有権者ではない「未成年の声」ばかりだったのか、あるいは「ネット上で文句だけ言って投票所に足を運ばない」ような人間ばかりだったのかと・・・。

以来あまりネットを過信しないことにしています。
「ネトウヨ」というレッテルに象徴されるようにそれこそネット上では「なんとなく保守っぽい言葉」が氾濫していますが「リアル」な社会政治的現実との「ギャップ」を思い知らされるにつけ、「これが世論」という安易な考えは持たないように慎重な姿勢をとるようにしています。
もちろん「第4のメディア・マスコミ」としての可能性と発信力を否定はしませんし、その恩恵にも浴している身でありますが、それでも「過信」はしないようにしています。

「言論には言論の責務を1人1人が持っている」から続くお話を拝読して考えることを述べさせていただきます。
私には「言論」に向き合う際、一人ひとりの「責務」というよりは、どちらかと言いますと「責任」という感覚があります。
HPやブログへBBSなりコメント欄なりを設置する目的は、運営管理人それぞれの「動機」なり「目的」があると思いますが、基本的には「配信コンテンツや記事への意見・感想、ブログ主(管理人)へのメッセージ等」を主な動機や目的にしている場合がほとんどだろうと思います。
こちらのブログのコメント欄はリアルタイム表示ですが、中にはそうではない場合も多いです。

もちろん「異論・反論」のコメントも重要です。
一般的なマナー、礼儀にかなった発言であれば、いかなる思想・信条・政治的立場等の発言であっても、削除する必要はなく、むしろそれを歓迎するくらいでなければ社会政治的言論を主眼としたHP・ブログの意味はないと言っていいでしょう。
当然ではありますが、公序良俗に反する発言、運営・管理者あるいはブログ主や特定個人への誹謗・中傷、広告や商行為、著作権の侵害となるコメントは一切掲示する必要がありません。
それは何よりもそのHPやブログのクオリティを保障するとともに、閲覧者が不快に感じないようにするための必要最低限の「管理・運営上の措置」であるからです。

「チャンネル桜掲示板」のお話もお見受けしますが、あちらの掲示板が「過疎化」と「限界集落化」を招いたのは、まさに「無管理状態」の「運営放棄板・放置板」となっているからです。
YouTubeを通じて公式サイトから掲示板を閲覧した「普通の人」はもれなく「痛い人ばっかじゃん」「全然人いないじゃん」「終わってんじゃん」という厳しい感想を私にくれました。
それは「チャンネル桜」さんの「一般的評価・印象」へネガティブな悪影響をもたらす可能性を示唆しています。
つまり「掲示板の印象」が「日本文化チャンネル桜そのもの」へのイメージに反映されるということです。
「チャンネル桜自体が疑われる」つまり「こういう痛い人しかいない、痛い人しか観ないテレビ局で、終わってる」といった「誤った先入観や偏見」になってしまうということです。
「チャンネル桜掲示板」は紛れもなく「株式会社日本文化チャンネル桜」さんが社として設置した自社公式サイト内の「公式掲示板」ですから、その運営・管理にも法人としての社会的評価につながります。
他局が設ける公式サイト内の掲示板が「リアルタイム表示ではない」ことの一番の理由は、そういう自社・コンテンツ(番組など)へ対する社会的評価やイメージに悪影響が及ばないようにするための基本的な措置なのです。
掲示板には桜さんが定めた「共通ルール」と「利用規約」がありますが、それらを一切無視した人物らの「落書き」でいっぱいです。
そのため、私は「きちんと管理・運営ができるまでは一時閉鎖すべき」「次の掲示板の在り方を、番組への意見・感想、出演者へのメッセージ等を募るだけの機能とし、リアルタイム表示にはしないこと」などを当該掲示板内にて提言していますがいまだにそのままです。
「無管理・運営放棄=水島監督・スタッフが見ていない=チャンネル桜に声が届かない」
「参加者(投稿者)がいない=閲覧者もいない」
以上の理由から、今ではチャンネル桜掲示板には投稿を控えています。

「平然こそ最大の攻撃」とのお言葉をお見受けいたします。
一般論として、おっしゃることには共感できますし、またその「大人なスマートさ」は常に心がけるべきであると思いました。
そのうえで申し上げたいのですが、私はこちらが「チャンネル桜を応援するチーム桜子」各位の「公式ブログ」であることを重んじています。
例えばもしブログのコメント欄において「荒らされても平然とする(そのまま放置する)」という意味でのご意見と承れば、それがブログ主(「チーム桜子」各位)の運営・管理上のポリシー、スタンスでいらっしゃるのでしたならこの件で申し上げることはありません。
コメントもリアルタイム表示されます。
要するにブログ主でいらっしゃる「チーム桜子」各位は、「私たち閲覧者・コメンテーターの善意と良識を信用してくださっている」ということです。
ならば、こうして「お邪魔」させていただいているに過ぎない私共のせめてものマナーは、こういったブログ主(「チーム桜子」各位)の善意を裏切らないことではないでしょうか?

上に「BBSやコメント欄を設置する理由」について申し上げましたが、こちらのブログにとりわけ「リアルタイム表示のコメント欄」が設置されているのにもブログ主の「動機」や「目的」がきっとあるはずです。
概ね「トピックスへの意見・感想、チーム桜子各位へのメッセージ等」を目的としているであろうことは想像に難くありません。
同時にブログの主旨&トピックスの内容を理解する人々との意見交流の場として、コメント欄があるであろうことも容易に想像がつきます。
故にトピックスに関係ないコメントや、明らかに茶化しているかのようなコメントはこの場では極めて不適切な言動ではないでしょうか?
「リアルタイム表示のコメント欄」という好意的サービスを悪用していることと同じではないかと思うのです。
もしかしたら、こうした書き込みの削除等を行うと「言論無視だ」とか「寛容性がない」だとかのクレームを気にされているかもしれませんが、一部の心無い発言者による混乱を防ぐのと共に閲覧者各位の心証を害するのを防ぎ、同時にこちらのブログのクオリティを保障するためにも、しかるべき運営・管理上の措置(書き込みの削除等)がなされるべきでしょうし、そういった措置がなされたとしても一般的なマナーに照らしても誰も異論がないと考えます。
もちろんこちらは「社会政治的言論を主眼とするブログ」ですから、思想・信条・立場等を異にする意見・反論も歓迎されているでしょうし、私もそれを尊重する立場であることは申し上げておきたいと存じます。

「知られない所でこそ日本人らしくありたいものだ」とおっしゃるお言葉には、私も一人の日本人として心より賛同申し上げます。

最後に独立総合研究所社長・青山繁晴氏の公式ブログの中の一トピックをひとつの参考までにご紹介させていただければと存じます。

それぞれの庭、みんなの庭
ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ(2009年06月02日)
http://blog.goo.ne.jp/shiaoyama_july/e/418219281ff80215fdb5e83e104ddf1a
Posted by 「日本学会」会長 at 2015年10月20日 23:28
「良い選手がいても、文化がプレーするということに直結していない。高校から大学、トップリーグまでそう。規律を守らせ、従順にするためだけに指導されている」というエディ・ジョーンズヘッドコーチの指摘は大変に重い。

スポーツの世界に限った話ではないと思う。
Posted by oda at 2015年10月27日 09:14
+odaさん

コメント(10月27日 09:14)を拝読致しまして。

こんばんは。
はじめまして。

お話の部分はものすごく難しいエッセンシャルな議論なのですよね。
「欧米型スポーツ」の理論体系から見た意見としては、確かにそういった否定的意見も多いと思いますし、日本の側(保守も含めて)もそうした意見の「批判的吸収」に努めることも必要ではないかと私も思います。

「スポーツの世界に限った話ではないと思う」
いろんなお考えがあってのお言葉だと思います。
「日本という主体性」を踏まえたうえで、改めるべき「旧来の陋習」に向き合うべきであるとも考えます。
Posted by 「日本学会」会長 at 2015年10月28日 23:03
天皇陛下の万歳を祝し奉ります。
皇后陛下の万歳を祝し奉ります。

明治節おめでとうございます♪

明治節の佳節にあたり、ここに明治節制定ノ詔書*と明治節ノ祝宴ニ於ケル勅語*を謹載し奉り、お祝い申し上げます。



**明治節制定ノ詔書【昭和2年3月3日】

朕カ皇祖考明治天皇大業夙ニ曠古ノ隆運ヲ啓カセタマヘリ茲ニ十一月三日ヲ明治節ト定メ臣民ト共ニ永ク天皇ノ遺徳ヲ仰キ明治ノ昭代ヲ追憶スル所アラムトス


**明治節ノ祝宴ニ於ケル勅語【昭和3年11月3日】

朕曩ニ明治天皇ノ懿徳ヲ頌揚シ其遺業ヲ追念セムカ為明治節ヲ定ムル所アリ今此佳辰ニ値ヒ祝宴ヲ開キ各国代表者並諸大臣等ト歓ヲ偕ニスルハ朕ノ満足スル所ナリ茲ニ友邦ノ君主及大統領ノ健康ヲ祝シ併セテ交際ノ益々親密ナラムコトヲ望ム
Posted by 「日本学会」会長 at 2015年11月03日 21:01
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