2015年05月25日

『小岩井農場の歴史』

チーム桜子・神保京子です。


仙台に越してきてはや一年。

先日、連休を利用して岩手の観光地を巡ってきました。


まず最初に行ったのが小岩井農場でした。

iwate 01.JPG

お天気も良く新緑も美しく、本当にきれいで

のんびりとした風景に癒されました。

素敵な場所に農場を作ったものだな〜。

と関心していたのですが、小岩井農場の歴史を調べると、

そもそもここは西風吹きすさぶ不毛の大地で酸性の土壌では

何も育たない劣悪な土地であったそうなんです。

現在の緑豊かな農場からは想像もできない変貌ぶりです。


小岩井農場ができたのは明治24年(1891年)、

何と今から120年以上も前になります。

小野義眞、岩崎弥之助、井上勝の三人の創設者の

頭文字を取って『小岩井農場』と名づけられたのだそうです。


当時、鉄道事業を担っていた井上は鉄道を敷く上で

たくさんの田畑を潰したことに後悔の念を深め、

不毛の岩手の土地を開墾して大農場を作ることが

国家公共の為にもなると事業を計画。

井上はそれを三菱社にいた小野に相談。

すると、小野は社長の岩崎に井上を引き合わせ

出資を快諾し、小岩井農場開設へと動き出したのだそうです。


その後、困難な土地改良、経営不振、経営者の交代など、

様々な問題を乗り越えて、日本初の本格的な畜産事業を

展開します。


その事業目的が日本人の体位向上のためであったと言うから、

これまた感動しました。

明治期にできた新しい産業の根幹には国家国民に資する

明確な目標設定をする事業主がたくさんいらっしゃいますが、

小岩井農場もまさにその一つだったんですね〜。


現在もスーパーに行けば何種類ものメーカーの牛乳、

乳製品が並んでいて安価に安心で安全な国産品を

手に入れられます。

それもこれも明治に小岩井農場が畜産を始めた

おかげなんだな〜。としみじみ思いました。


普段、何気なく食べている乳製品にも

先人の並々ならぬ努力があったことを

忘れてはいけないですね。

 
 
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posted by チーム桜子 at 00:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 神保 京子 
この記事へのコメント
在日教師が居た豊中市立寺○小学校の場合
国語の時間はハングル授業(当然大問題になりました)
自虐史観授業ばっかり。
授業数が足りず、夏休み返上で国語の授業。
式典にはチマチョゴリで出席。
その教師に遠慮して国旗の掲揚は自粛。
同和教育指定校に指名される。
自衛隊、警察の子供は人殺し扱い。教師なのに生徒に様々な蔑称を使う。
(ゾウリムシ、ビッチ、河童etc)のようなことがあったので父兄ブチ切れ!
教育委員会にも訴えたが無視される(当時は社会党全盛期)

在日教師追放運動始まる。生徒を学校に出席させないようボイコットも

今だ教育委員会は無視

父兄が文部省に陳情!ここで初めて学校側が動きだす

在日教師が辞表をだす。校長も辞表。これで事が収束にむかうと思われたが・・・

(引用者の判断で省略)
現在、橋下の子供がこの学校へ通ってる。
http://kt-yh6494.blog.so-net.ne.jp/2015-05-26
Posted by junn at 2015年05月30日 20:36
地方の守らないといけないモノや事たくさんあると思います。

アメリカでは地方紙がおそるべきペースで廃刊しています。比例して、地方ニュースの供給が激減しています。地方ニュースの量があまりに減るといったい何が起きるのか現地で取材して記事にしました。
いちど減った地方取材を元に戻すのは非常に困難なようです 

止まらぬ米紙の退潮 医療・教育・地方ニュースが減少
http://www.asahi.com/articles/ASH5S5SJYH5SUHBI02L.html
Posted by 九鬼 at 2015年05月31日 12:43
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